窓から差し込んだ光が顔に当たり、私はゆっくりと目を覚ました。

「……んー……」

 何で此処にいるんだっけ、と徐々に頭を働かせる。
 そうだ、いきなり千年後にタイムスリップして、昨夜は自室ではなくエミリオの部屋で寝たんだっけか。
 布団の中で体を伸ばし、そして体を起こした。
 そう言えば私がベッドを占領して、エミリオはソファで寝たんだよね。
 エミリオは起きてるのかな。

 確認しようと思ってソファの方を向き、私は絶句した。



05.初任務女顔……それはリオンの宿命





「え、エミリオ!」
 ソファの下に転がっているデカイタンコブこしらえたエミリオのもとに、は慌てて駆け寄った。少々悲劇チックに叫びながら駆け寄ったものの、誰もツッコむ人間はいないと悟り、溜め息を吐く。
 何故、エミリオがこんな状況になったのか。そんな疑問を頭に巡らせれば、一瞬で答えが出てきた。
(マリアン……)
 きっとこの世で一番最恐である黒メイドの名を、は心の中で呟いた。はエミリオを起こそうか迷い、時計を見て起こすのを止める。まだ、六時三〇分。疲れているんだろうし、もう少しぐらい寝かせてても良いだろう。例え気絶でも。
 にはやることがあった。ある人物の様子を見に行くという、ただの好奇心から生まれた使命が。あのホヒ爺をセットしておいたのだ。いくら変態だからってタダでは済まされないはず。
「さーて、行こうかな」
 エミリオを見捨て、立ち上がったは早々と部屋を出る。
 向かうは、昨夜悪夢を見たであろう父親の部屋。



「おはようさーん」
 ノックもせずに崩れた挨拶で書斎に乗り込んできたに、ヒューゴ中身ミクトランは驚いたように目を少し見開いた。そして、盛大な溜め息を吐く。
か……。昨夜はよくもやってくれたな」
 一晩で一気に父がやつれたように見えた。『よくもやってくれたな』と奴は言うが、自分にだって言い分はあるのだ。は腰に手を当てて言い放つ。
「まるで私が悪いみたいに言うんだから。もとはと言うと、父さんが私を夜這いする計画を密かに立てたのが悪いんじゃない。レンブラント爺から聞かなかったら、本当に危なかったわよ」
「よく考えてみろ、という自分の愛娘を激しく愛してやろうと思ってウキウキ気分でお前の部屋に忍び込んだ! この時点で私の心臓は爆発寸前だった! そして布団に潜り込めば、たちまち加齢臭が私を襲った……! 一体何がと思って目を見張れば、美しく可愛いお前だと思っていたのは、ネグリジェを着たホヒ爺だったんだぞ!? 別の方向に心臓が爆発したわッ! しかもあの忌々しいホヒ爺は逃げる私の腰に縋りつき、欲求不満でしたら早く私に仰って下されば良かったのに、私でよければ毎晩お相手を……ああでも優しくして下さいねッ! 等とこちら側にとっては理解不能な言葉を吐き出した! あれから必死に逃げて自室に戻ったのはいいものの、あのネグリジェ姿のホヒが夢に出てくるのではと思うと結局一睡も出来ず! ……ああ、恐ろしい!」
「私が悪かったわ」
 すぐさま平謝りする。っていうかネグリジェのホヒ爺って。突っ込みどころがありすぎて、逆に突っ込めない現状だった。昨夜の悲劇を語り尽くしたヒューゴは、溜め息を吐いたと思ったらの方へと向き直る。
「……というわけで、今からでも遅くは無い! 私とキモチイイことをしようではないか!!」
「っずぁぁぁああ!! なんでそうなるんだクソ親父!!」
 書斎の机を飛び越えて自分のもとへと飛び込んできた変態親父に、の殺人的飛び蹴りが決まる。彼女の蹴りはヒューゴの顎にクリーンヒッツしたが、それでも欲望という力は大きすぎるのかヒューゴは不滅。ヒューゴは鼻血を出しながらも、の腰にしがみつき訴えた。
「大丈夫! 痛いのは最初だけ!」
「何の話してるんだ変態!!」
「ヒューゴ様、コーヒーを持ってきてやりました」
 が腰にしがみつくヒューゴを必死に引き剥がそうとしていると、グッドタイミングで書斎に入ってきたのは俺様語を駆使する黒メイドのマリアン・フュステル。
 マリアンはこの二人の現状を確認して、笑顔を絶やさぬままコーヒーが乗っているトレイを床に置き
「たぁぁぁ!!」
 と、包丁をどこからともなく取り出し、高く跳躍したと思ったらにしがみ付くヒューゴの腕をぶった斬る勢いで二人の間を縦に一閃する。その太刀捌きと言ったら、メイドにしておくのは勿体無いと思う程であった。
 ヒューゴは名残惜しそうに眉を顰めながら、マリアンの攻撃を避ける為に渋々の腰を離す。マリアンの攻撃は縦の一閃だけでは治まらず、それから更にヒューゴに向かって今度は横に包丁を振った。どうやらとヒューゴの距離をもっと広げる為だろう。その第二の攻撃さえ、ヒューゴは後ろに跳ぶことによって避ける。そして二人は、対峙した。
 お前ら普通に城にでも兵士として仕えてろよ。と、は心の中で思う。
「ふふッ、ヒューゴ様ったら。お遊びが過ぎますよ。っていうか昨日あんなに釘を刺したってのに、それでもに手を出すとは良い度胸してんじゃねえか」
「お前こそ、オベロン社総帥でありこの屋敷の主である私に凄い口が聞けたものだな。私のファンに殺されるぞ?」
「ハッ、どこの誰のファンですって? たとえ外面良くしてダンディフェイスで色気撒き散らそうが、中身が変態じゃあ元も子もないわね。ファンも逃げていくでしょうよ」
「言ってくれるな、腹黒メイド。そういうお前も街ではその顔だけで人気もあるようだが、腹の中を知られたらどう思われるだろうな。所詮お前は馬鹿力と殺傷力で長まで上り詰めた、美しさとはかけ離れたメイドよ」
「うっさいわね、ヒゲジジイ。私はこの美貌と優しさと誰でも許せる寛大な心があるからこそ、メイド長に選ばれたの」
「そう自分で思えるとは、幸せなことだな。美貌はそれぞれとして、他の二つはお前の中に欠片すら無いような気がするのは気のせいか?」
 両者引けを取らない貶しあい合戦を始めだしたが、にとってみれば
 あんたら二人ともマトモな人間ではない。
 という思いだった。
 黒電波と毒電波の衝突を見ていただったが、廊下を走る音が聞こえ、意識をそちらへと向ける。その廊下を走る人物は、この書斎へと向かっているようだった。その人物は、
「メイド長!!」
 と言いながらバコォッと愉快な音を立てつつ書斎の扉を蹴り開けた。メイドだった。屋敷の主がいる書斎の扉を蹴り開けるメイド……もうこの屋敷はどうなっているんだ、という思いがの中を駆け抜けたが、ここは『これも毒電波の影響か』と割り切るしかなかった。扉を蹴り開けたメイドは、焦った様子でマリアンへと近づき言う。
「メイド長、大変です! メイドの中で三つ編みドジっ子のキャラに当てられてるメイドが」
 何だよ、当てられてるって。
「本当にドジしたみたいで、厨房が火の海なんです! あれを消すには、もうメイド長の冷気しか!!」
「何ですって!? ――チッ、先に行ってなさい。すぐに後から行くから!」
「はい!」
 パタパタと部屋を後にするメイドを見送り、マリアンはコーヒーが入ったトレイを床から書斎の机へと丁寧に置いた。そして、ヒューゴの耳元の近くでこう囁いた。
「今に手を出したら、毒殺してやるからな」
 そんな事を言われたら誰も手を出せないな。と、ヒューゴは心の中で思う。走って書斎を出るマリアンを見送り、溜め息を吐いて椅子へと座るヒューゴ。そしてゆっくりと、マリアンが持ってきたコーヒーを口にした。
(……アレか。トイレ拭き雑巾の絞り汁入りコーヒー……)
 平然とそれを口にしているヒューゴの身を、少し案じただった。
「……どうした? そんなに穴が開くほど見つめられると、さすがの私も恥ずかしいぞ。コーヒーが欲しいのか?」
「恥ずかしいとか口にするな、虫唾が走る。コーヒーはいらない」
 ヒューゴの言葉に体が拒否反応を起こしたは、鳥肌の立った腕をさすりながらそう言い放つ。ふと、ヒューゴは何かを思い出したように微笑んだ。
「そういえば、お前は昔からコーヒーが苦手だったな。あれは五歳の時か。欲しそうにしていたから飲ませたら、苦いと喚いて頭痛さえ感じていただろう。あれきり、か」
「…………!」
 そのヒューゴの言葉に、は一歩引いた。
 ――そんな、幸せそうな顔をして私の話、しないでよ――……。
 複雑な表情を隠すように、は俯く。下手に、この父親に情を移すのが嫌だった。今のには、それが何故なのかは到底考えられなかったが。そんなの様子に気付き、ヒューゴは心配して少し腰を浮かせた。
「どうかしたのか?」
「……あ、いや、何でも。うん、コーヒーに含まれてるカフェインって依存性があるらしいから。あまり習慣にもしたくないし、飲みたくないのよ。もう部屋に戻るわ」
 それを言い残し、は逃げるように書斎を出て行った。ヒューゴは浮かした腰を再び降ろし、先ほどのについて思考を少し巡らせる。そして、フッと笑いを漏らした。
「……ついに、も私に惚れたか……」



 先ほど感じた感情を消すように、逃げるようには廊下を小走りした。考えれば考える程、落ち込みそうで怖かったから。
 気が付けば、エミリオの部屋の前にいるだった。は軽く深呼吸し、部屋の扉を二回程ノックしてから中へと入る。部屋を出て行った時と変わらない、床に転がるエミリオの体。
「まだ気絶してんのね……」
 溜め息を吐くが、内心どこかでホッとしている部分があった。先ほどの感情から、逃げられるから。「エミリオー」と名前を呼びながら、はエミリオの傍に寄る。とりあえずタンコブを治したら起きるかなと思い、彼女は手をエミリオの頭にかざし晶術を唱えた。
「……ヒール」
 光と共に、タンコブは見事なまでに沈んでいく。その様子は見ていて噴出せるものがあった。
 完全にタンコブが引いた後も、しばらく治療を続けているとエミリオの瞼が微かに動く。起きたのかと思い、はパッと手を引っ込める。案の定、エミリオはゆっくりと瞼を開いた。
「おはよう、エミリオ」
「……おは、よう…………ッ!!」
 目を覚ましてぼんやりとしていたエミリオだったが、突如目を見開いて飛び起きたのにはさすがのは驚く。エミリオはまず周囲を確認し、隣にいるのがだとわかると安堵の息を吐いた。
「……今朝、僕の部屋に来たマリアンが僕の胸倉を掴んで言ってきたんだ。「テメェ、と同じ部屋で寝てるとはどういうことじゃ」と、泣く子も黙るような形相でッ……! 僕は逆に泣きたくなったがな。マリアンは、必死に弁解する僕に対し「聞く耳もたねぇよ」と一言残し、鈍器で僕の頭を……!」
「それで二度寝しちゃったわけね」
「それを二度寝と言えるお前は凄いな」
 エミリオの説明を聞き終わったは、先ほどのエミリオの様子を簡潔に表現する。その簡潔すぎる表現に、エミリオは呆れを通り越し感心ともいえる口調でツッコんだ。だが、そんなエミリオは再び頭を抱え呻る。
「どうしよう……今度マリアンに会った時は、僕はどうすればッ……! 今度こそ殺られるかもしれない……間違いなくあの包丁で! マリアンは仮にもメイドであって、調理も上手い。特に魚を捌く時のあの手際の良さと言ったら…………あああッ、僕も魚のように捌かれる運命なのか……!?」
「(打ち所悪かったかな)……大丈夫よ、エミリオ。マリアンだって忙しいんだもの。きっと(さっきの父さんとの戦闘で)そんなこと(多分おそらく)忘れてると思うわ」
「そう思うか……?」
「うんうん。いざとなれば私がマリアンを説得するし!」
「……ありがとう、
 一人のメイドがきっかけで、こうも信頼関係ができるとは。
 二人が信頼という名の絆を固く結んでいたところ、一人のメイドが入ってきて「朝食の準備ができましたので」と伝えていった。あの冷静さからして、今朝の火事騒動は治まったのだろう。

 ダイニングで朝食を取り、何の嫌がらせかリオンの皿にはピーマンとニンジンがてんこ盛りだった。が不思議に思っていると、リオンはピーマンとニンジンが嫌いとのこと。だとすれば、こんなことをするのはマリアンしかいないだろうと思いつつも二人は口には出さない。どこからか包丁が飛んできそうだったから。
 結局、そのピーマンとニンジンは庭の肥料にするという見事なリオンの言い訳によって回避することができた。
 朝食も終わり、さて何するかと思ったところでメイドから「ヒューゴ様がお呼びでしたよ」と伝えられ、書斎へ行くことに。
 用があるならテメェから来い、とか脳裏に一瞬過ぎったりもしたが、表面上は上司と部下なんだから仕方ないかとは思いながら、リオンと共に書斎へと向かった。

 が書斎の扉をノックして中へと入り、次にリオンが続く。
「よく来たな」
「あんたが呼んだんだろ」
 入った瞬間にヒューゴに言われ、はさらりと突っ込んだ。呼び出しといて、それはない。そんなの様子に、ヒューゴは椅子に座りながらため息を吐く。
「つれないな。朝はあれほどまで激しかったのに」
「なッ……!?」
「誤解するような事言うな!」
 ヒューゴの発言にリオンは驚きを見たが、は顔を真っ青にさせて書斎の机に体当たり。ヒューゴの体は椅子と机に挟まれる形となり、「グハッ」と小さな悲鳴をあげて血を吐いた。掃除でもしたかのように、手をぱんぱんとはたきながらは改めてヒューゴに向き直る。
 確かに激しいな、とリオンは心の中で思った。
「それで、何の用?」
「ゲホッ、ゴホォッ! 王かゴホッらのッ……任……ガハッ!」
 けろりとした表情では問うた。一方、いまだ咳き込みつつも、用件を説明するヒューゴ。いつ死んでもおかしくない領域だ。
「どうしたの? 早く言いなさいよ」
 お前は女王か、とリオンがぼそりと呟いた。手を腰に当て、片足に重心をかけ微笑を浮かべてそう発言したの姿は、Sそのものだったから。
 ヒューゴは息を落ち着かせ、に向かって微笑んだ。口の端に血を垂れ流して。
「……やはり、お前はそうしていると、美しいな」
 そういう台詞は、せめて口の端の血を拭ってからを吐いてくれ。
「……も、もうッ。父さんのバカッ! ところで、用件は何? 任務かしら」
 もうなんだかこの親子のテンポにはついていけない、とリオンは顔を真っ青にして心の中で思った。本気で会話していると思ったら、約三分の二は冗談だったりする。冗談などあまり会話に取り入れないリオンにとっては、何とも解せない話だった。
 ヒューゴは、に対して頷いた。
「そうだ。王からの命令でな。王にのことを話したところ非常に興味を持ったようで、約八十人の盗賊をお前達二人で捕えて来い、という素晴らしい任務をくれたぞ」
「ちょっと待て。どんな説明したんだ貴様」
 任務の内容を聞き、リオンは青筋を立てながらヒューゴに突っ込んだ。人の命を捨てるような任務の内容だ。自分達は鉄砲玉ではないんだ。
 どこか遠いところを見るように、ヒューゴは書斎の窓を見る。その表情は、どこか恍惚としていて気持ち悪さ珍しささえ感じた。
「美しく華麗で聡明。そしてきっとこの世で一位を争う程の頭脳と剣術を備えた可憐な少女が我が屋敷に来た、と」
 こんな任務をやらされるわけだ。
「だが、いくらが強くたって相手は八十人なんだぞ!? それを、僕ら二人でなんて……!」
「私は、がそれぐらい容易く出来ると思っているが。……どうだ、
 ヒューゴから微笑を向けられ、が言おうとしていた「お前が行けよ」という言葉は喉の奥に詰まってしまう。辛いが、無理な話ではない。天地戦争の時だって一人で三十人の相手をしたこともあったが、普通に勝てた。今回はその倍以上に頑張ればいい話のこと。
 少しの沈黙の後、は微笑んで言った。
「出来るんじゃない? 人間の動きって読みやすいし、大丈夫よ。生け捕りっていうのが難しいけど」
「さすが私の娘だ。これは王国からの命令だからな、出来る限り殺さないように」
「はいはい」
 ため息を吐きながら、は了承する。
 ――やってやろうじゃないのよ。一人も殺さずに。
 ヒューゴから盗賊が潜んでいる場所などを詳しく聞きだし、リオンも渋々といったような感じで聞いていた。知り得る限りの情報を聞き出すと、はさっさと「行ってきます」と言って書斎を出て行った。慌ててリオンはを追いかけて書斎を出て行った。

「おい、!」
「何?」
 リオンに呼ばれ、はくるりと振り返った。
「何、じゃない。本気か? 相手は八十人だぞ。今からでも遅くはない。王に交渉して兵を何人か……」
「大丈夫よ。……あ、でもリオンまでカバーできるかは分からないから、リオンは自分の身を守ることにだけ専念してね」
 そんな軽いの調子に、リオンはため息を吐く。
「……怖くないのか」
「え?」
「よく考えてみろ。八十人だぞ。囲まれて押し寄せられるだけでも、身動きも出来ない状態になる。お前なら上級晶術一発かもしれんが、今回は生け捕りにしなくてはならないから殺すことは出来ない」
 リオンの言葉に、は微かに視線を下げた。
 確かに、それほど大きな人数だとはも重々承知している。だが、「やれるな?」と訊かれたら「もちろん」と答えるのが自分だ。そして任務をちゃんと遂行して、信用が貰えるならば。
 ――やるしか、ない。
「……怖いとか、言ってられない。……ただ、リオンが怖いなら私一人で行くよ」
 一人で八十人と戦う。しかも一人も殺さずに。さすがにそれは厳しいかな、とは思ったが、リオンが死んでしまうのは嫌だ。そんなことを思っていたの横を、リオンは通り過ぎる。
 ――やっぱり、一緒には行ってくれないわよね。確かに、人数が人数だし。
 はひしひしと、孤独を感じた。廊下を歩くリオンの足音が、どんどん遠くへ行ってしまう。それと同じように、二人の心も離れていくようで。
 リオンが、ぴたりと足を止めた。それに気付いて、は振り返った。
「何をボサッとしている。早く行くぞ」
「!」
 意外な言葉に、は驚いて目を見開いた。どう言い返せばいいか、全くわからなかった。ただ、怒ったように眉間に皺を寄せつつも、リオンは自分を待っていて。
 嬉しくて、嬉しくて。は、涙が出そうになるのを必死で堪えた。
「今、行くよ」
 ――やっぱり、あなたは優しい。

「ところでね、リオン」
 玄関を前にし、今から出ようかというところでが声をかけてきた。リオンは、「何だ」と玄関の取っ手を掴みつつ、訊いた。
「リオンは武器無しで、どうやって戦う気?」
 ――は?
 の言葉に、リオンは玄関を目の前にして目を丸くする。取っ手から手を放して腰を確認する。そこに、武器はなかった。堪え切れなかったという感じで、が「ブフッ」と噴出す。
「アハ、アハハハハ!! どうしたの、リオン。リオンってそんな失敗するような人には見えないんだけど。このまま任務行ったら、明らか死んじゃうよ」
「い、言われなくてもわかっている!」
 あまりしない失態を犯し、リオンは顔が熱くなるのを感じた。本当に、今までこんな失敗をしたことなんてなかった。のせいで調子が狂っているのか。何でもかんでも彼女のせいにする気はないが、こればっかりはそう言う事にしておきたい。
 シャルティエは確か、自分の部屋のごみ箱だったはず。リオンはそう思って踵を返し、自分の部屋へと戻ろうとした。
「あ、リオン様」
 荷物を抱えたメイドが、リオンに声をかけてきた。
「何だ。僕は忙し――」
「リオン様のお部屋のくず入れに入っていた剣、捨てようとしたんですけど庭のワンちゃんが気に入っちゃって……。どうせ捨てるんですから、オモチャにしてもいいですよね?」
 何てことを。
「全然構わないんじゃないかしら」
 、お前も何てことを。
 メイドの問いにが代わって答えていた。彼女の場合は、本当に本気か冗談なのかが全く見当が付かない。兎にも角にも、世界で六本しかないソーディアンを、犬のオモチャになんて……
『坊ちゃぁぁぁあああん!! 助けてぇぇぇえええッッ!!!』
 ――別にいいか、とも思った。

 そういうわけにはいかず、リオンとは屋敷を出て庭へと向かった。電波ソードは、見事に犬の餌食になっていた。
『ちょッ、やめてッ! 僕の大切なコアクリスタル舐めないで! あ、わかった! 僕が男前だからって惚れちゃったんだね!? ああッ、ダメだよダメ! 僕には既にっていう子が――』
「メリーちゃん、おいで」
「バウッ!」
 シャルティエは犬相手に電波を発していたが、が犬の名前を呼ぶと犬は素直にの元へやってきた。シャルティエを踏みつけながら。
 が犬の相手をしている間に、リオンはシャルティエを拾う。犬のよだれと土だらけで、正直触りたくなかったが。
『坊ちゃんと! やっぱり僕を助けてくれたんですね!? 僕、ずっと信じていたんです……坊ちゃん達は僕を必ず助けてくれるって! だって僕がいないと会話にも何か物足りないものがあったでしょ!?』
「そんなに捨てて欲しいか」
「シャルがいないってこと、今さっき気付いたのよ」
『またまたそんなこと言っちゃって、坊ちゃんもも照・れ・屋・さ・んッ』
「メリー」
『ぎゃあああ! 嘘ですもう何も言いませんから犬呼ぶのやめてくださいいぃぃッッ!!』
 あまりにも電波がウザイ為、リオンがシャルティエを差し出し犬を呼ぶと、シャルティエは絶叫しつつ謝罪した。
 その後、シャルティエを庭師が使っているバケツに放り込み汚れを落とし、ハンカチで拭いてやった。その間にも『ああ坊ちゃんが僕の手入れを』『あぁっ、そんなに愛おしそうな目で見ないでくださいよッ』などと相変らず余計なことを言うため、その度にリオンがどれだけシャルティエを投げ出しかかったかはわからない。
 リオンがシャルティエの手入れをしている間、はずっと犬と遊んでいた。木の根元に座って手入れをしつつ、リオンはシャルティエに問いかけた。
「シャル。これからの任務を聞いてくれるか?」
『はいはい、何ですか?』
「僕との二人で、盗賊約八十人を生け捕りにするんだ」
『…………は?』
 ありえない、といった感じでシャルティエは呆気に取られた。そして、叫んだ。
『ええええええッ!? いや、ありえないですから何の冗談ですか坊ちゃん!!  と坊ちゃん二人きりで任務なんて!!』
「問題はそこか!?」
 電波によって屈折したシャルティエの視点に、リオンは突っ込む。すぐさまシャルティエは『あ、いえ』と訂正した。
『……八十人相手なんて、いくらと坊ちゃんでもタダでは済まされませんよ。しかも、生け捕りなんでしょう? の晶術でボンッと殺しちゃう、とかならいけるでしょうけど』
 自分と同じことを言うシャルティエに、リオンは少しだけ笑った。
「僕も反対したが、あいつは一人でも行く勢いだった」
はそういう子ですよ、前々から。一般人が無理と考えることを、可能にしてしまうんです。自分の身を捨ててでも、任務はこなす。……逆に、僕はそんなが危なっかしくて怖いんですけどね』
 シャルティエの言葉を聞き、リオンはゆっくりと頷いた。
 確かに、怖い。無茶をして上手くいけばいいが、失敗した時には死ぬ時だってあるかもしれない。
 リオンは、ため息を吐く。
「……どれだけ心配しようが、今のあいつには届かないんだろうな」
『でしょうね。でもいつかは気づくでしょうし、焦らなくてもいいと思いますよ。坊ちゃんだって、に会ってから気づきだしたんじゃないですか? 僕がこんなにも坊ちゃんの心配をしてるってことを!』
「……そうかもな」
 そう言って、リオンは立ち上がった。
 意外な反応に、シャルティエは少し戸惑ったようだったが、すぐに『わかってくれて……僕、嬉しいッ』などとおどける。

「あ、用意できた?」
 呼ぶと、は犬と遊ぶのを止めてリオンの方へと向いた。リオンが頷くと、は再び犬に向かい、ひと撫でして「行ってきます」と声をかける。答えるように、犬は「ワウ!」と吠えた。
「よーし、それじゃ行こっか!」
 そう言って、は先に屋敷の門を通っていく。追いかけるように、リオンは後を付いていった。
 『リオンが怖いなら私一人で行くよ』と、彼女はまだ言っていそうで。
 それがどれほど取り越し苦労にすぎないことか思い知らせるように、リオンはの隣へと並んだ。



 盗賊が出没するのは、ダリルシェイドから北西にある森。アルメイダの村に行くまでに、何人もの人間が襲われたらしい。しかし、八十人なんていう人数の盗賊が、よく集まったなと逆に感心さえしてしまうシャルティエ。そして、その八十人なんていう人数の盗賊を生け捕りにするのが十三歳の少年少女の役目とは、とても信じられるものではない。
『ねえ坊ちゃん、。本当にやるんですか?』
「あったりまえ。頼まれたからには、やるしかないでしょ」
『でもなぁ……。と坊ちゃんのその白くて美しい肌に傷がつくことを考えると、僕は心配で……! ああああああッ!! それはそれで萌えるか』
「「黙れ変態」」
『黙ってられませんよッ! 二人とも可愛いですから殺されるだけならまだしも、あんなことやこんなことまでされちゃったりして! そんなのいくらこの僕だって萌えな』
「「黙れ電波」」
 もう話し相手にもされていない。大きな任務を目の前にして二人も気が立っているんだろう、とシャルティエは思い込み、喋るのを止めた。
 森の影に体を潜めながら、とリオンは気配をさぐる。
「……わずかだけど、盗賊の匂いがするわ」
 彼女の五感は一体どうなっているんだろう。
 二人は音も立てずに更に奥へと向かった。すると、人の気配は一段と濃くなった。耳をすませば、喋り声もがやがやと聞こえる。盗賊たちも飯の時間のようで、その匂いにはリオンも気付いたようだった。
 より慎重に、奥へと向かう。見つかったら、おしまいだ。不意打ちをかけるしかない。そんな二人の緊張感が、シャルティエにも伝わる。
『わッ!』
「「!?」」
 そんな緊張を少しでもほぐしてやろうと、シャルティエが声をあげた。と、同時に跳ね上がるとリオン。
『あははは! 坊ちゃんとってば、かーわい。そんなナイスリアクションしてくれるとは思ってもみなかっ……ああッ、やめて坊ちゃん! ごめんなさい! 僕が悪かったですぅ!』
 ギリギリミシメシと、シャルティエの刀身をひん曲げるリオン。額には大量の青筋。そんなリオンの隣のも、青筋を立てながら曲がるシャルティエを見て微笑んでいた。二人の瞳は怒りに燃えていて、本気で折られるとシャルティエは思った。
 しかし、すぐさま体勢を元に戻す。いつまでも遊んでばかりはいられない。そうやって、切り替えがすぐに出来るところはプロだなとシャルティエは感じた。もう冗談でも驚かすのはやめようと思った。
 奥へと向かい、二人はついに足を止めた。盗賊の集団が肉眼で見えたからだった。こんな森の奥だからこそ気が抜けているのか、見張りもいない様子だった。だがどこに仕掛けがあるかはわからない。鍋を囲んでいる盗賊がだいたい三十人程度。その他は、きっといくつもあるテントの中だろう。
「リオン、作戦Dを実行するわ」
 の言葉に、リオンが頷く。作戦は、これまでの道のりの時に延々と話してきた。が予想できる限りの盗賊の状態から作り上げた作戦。
 が一つの石を、鍋を囲む盗賊のうち一人の頭に向かって投げる。石は盗賊の後頭部を直撃し、そのまま倒れて気絶。盗賊の中で、動揺が走った。
「誰だ!!」
 石が飛んできた方向を見て、盗賊が叫ぶ。とリオンは二手に分かれ、気配を消しながら走った。そして、盗賊の本拠地を二人で挟むような位置で再び現状を見る。盗賊が単独行動をしないのは知っているが、何人で行動するかまでは予想がつかない。
 騒ぎに気付き、テントの中からも大勢の盗賊が出てきた。十人の盗賊が、今までたちがいたところへと向かっていく。その盗賊たちが離れたのを確認し、は自分の足元の土を蹴り、落ちていた枝を足で踏む。勘の良い盗賊なら、気配に気付くはずだ。
 案の定、先程とはまた違う十人グループが、の方へと向かってくる。誘いこむように、は地面の枝を折りながらゆっくりと盗賊の本拠地から遠ざかっていく。
 本拠地より二百メートル程離れたところで、はレイピアを構えて微笑を浮かべ振り返った。
「痛い目に遭いたくなかったら、投降しなさい」

 そのまったく逆方向では、リオンが同じことをしていた。と同じく誘い込むように、枝を踏みながら本拠地より離れた場所へ。シャルティエを握り締め、振り返る。
「痛い目に遭いたくなかったら、投降するんだな」
 反対側で、が同じことを言ってるとは思ってもいないだろう。

 盗賊たちが「はぁ?」みたいな顔をするので、つい腹が立って遠慮なしに叩きのめしてしまった。十人の盗賊を縄で縛り、とリオンは二手に分かれる前の場所へと気配を消して走る。
 その場所には、一番最初の十人グループがいた。予定通りだ。先にその場に着いたのは。不意をつき、一人の盗賊の頭を後ろからレイピアの鞘で殴った。倒れる仲間を、盗賊たちは一斉に見た。鞘で殴りきった少女の姿が、目に入る。
「女!?」
 そして更に、もう一人の盗賊が倒れた。に気を取られている背面を狙い、リオンが同じくシャルティエの鞘で殴ったのだった。その存在に気付き、今度はリオンの方を見る盗賊。
 そして言う。
「おんn――グハッ!」
 「女」と言われる前に、リオンはその盗賊の腹を蹴る。容赦無かった。
 あっという間に二人でその場の十人の盗賊を片付け、縄で縛る。合計、三十人の盗賊を縛ったことになった。残りはおよそ五十人。
 こちらの物音に気付いたのか、再び十人の盗賊がこちらへと向かってきた。それさえも軽々と倒して縛り上げ、とリオンは四十人となった敵の本拠地へと乗り込んだ。
 突然出てきた少年少女に、盗賊たちは驚いた。
「てめぇらか! さっきからここら辺荒らしてんのは!」
「荒らしてるのはあんたらだっつーの!」
 盗賊の言葉に、は青筋を立てながらつっこんだ。盗賊の親分と思われる人間は、リオンとを見ながらどっしりと座っていた。そしてその親分は言う。
「カワイイ女の子二人が、こんなところで何やってんだぁ?」
 リオン、再び女に間違われる。彼の顔がヒクつくのがわかった。
「僕は女じゃないッ……!」
 拳を握り締め、殺したいのを必死に耐える。どこに行っても女と間違われるリオン。これは彼の運命なのだろうか。
「ハーッハッハッハッ! 女じゃない!? それじゃお前は相当な女顔なんだなぁ!!」
 盗賊は冗談で言ったつもりなのだろうが、本当にその通りなのである。
「まあ、売れば高くつきそうだしな。お前ら捕まえろ!」
 その声と共に、盗賊たちが一斉になって襲ってくる。素早い動きで盗賊の攻撃を避け、その後頭部を鞘で叩く。囲まれた時には上へ跳ぶフェイントをして、盗賊が上を向いた瞬間に足払いをした。
 次々に盗賊たちは倒れていった。圧倒的な強さに、腰が引けている人間もいた。その光景に苛立ち、親分は立ち上がる。
「ガキ相手に何やってんだァ!?」
 俺が相手をしてやると言い、ゆっくりと笑いながらとリオンの方へと歩み寄ってくる。強靭な体つきからして、今までの盗賊のように一筋縄で行かないということはわかる。親分ということは、親分になれるだけの理由があるのだから。とリオンは武器を構えた。
 だが。
 その盗賊の右足が、煮えたぎる鍋の中へと入った。
「ぎゃあああああああ!! あぢ―――ッ!!」
 いや、馬鹿だろ、絶対。
 盗賊は右足を抱えて蹲り、絶叫。子分たちも「親分……」と何とも言えない表情で見ていた。
 結局、親分はそのまま戦闘不能。



 その場にいる盗賊を縄で縛り、今まで倒した盗賊たちも連れてきて一つにまとめた。
 首に縄を巻き、逃げようとすると全員の首が絞まる仕組みになっている。もしくは縄を持っているリオンが強く引っ張れば絞まる。
 その状態でダリルシェイドへと向かった。
「ちッ……こんなガキ。しかも女に捕まるとは……」
「何か言ったか?」
「いえ、何でもありません」
 盗賊の一言にリオンは軽く縄を引っ張った。首が少し絞まる感触に、慌てて盗賊は謝る。
 とりあえず任務が無事終わったことに、シャルティエは安堵した。とリオンはまだ厳しい表情のままで、この盗賊を王国に渡すまでこの表情なのだろう。

 ――坊ちゃん、。無事一人も殺さずに捕獲できて良かったですね。
 ――そうだな。だがお前があの時驚かしてきた事についてだが……。
 ――それなりの代償はあるから覚悟しといてね、シャル?

あとがき
期待をされたら無理にでも応えようとする夢主を、心配するリオンとシャルティエ。
それをメインに書きたかったので、ちょいシリアス多めでした。ギャグ少なめ。
か、書いてて楽しかった……!
それでは、ここまで読んで下さった方有難う御座いました!
2004年代(最終改訂:2006/9/3)
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