「貴様、に何を言った」
 が地上に降りたのには相当な理由があるはずだと思い、それを探ると一人の女が浮かびあがった。
 兵に囲まれている女は、それに動揺することもなく私を見据える。
「今、起こっている天地戦争のこと。あまりにも死んだ目をしていたものですから、部屋の外にはあなたにとっての幸せがあるかもしれない、と」
「……ずいぶん言ってくれたようだな」
 女は俯き、呟く。
「あれではあまりにも可哀想すぎます。何も知らない、呼吸をしているだけの人形じゃないですか」
 お前に何がわかると言うんだ。
 それを口に出そうと思ったが、やめた。どの道、この女の処分は既に決まっている。
「……その女を処分した後、お前たちも地上に行け」
「了解しました、ミクトラン様」
 命令すると兵たちは敬礼をし、女を連れて玉座の間を出て行った。

 玉座に座りつつ、天井を見上げる。深い後悔に襲われた。
……」
 地上軍に入ったという情報を手に入れた時、信じられなかった。
 何故、私の敵である地上軍に入ったのか。私を、恨んでいるというのか。
 ずっとあの部屋に閉じ込めていた私を、恨んでいるのか。
 どれだけ考えようが、の思考はわからない。ただ、地上に行くぐらいなら、私のもとを離れるぐらいなら、自由にしてやれば良かった。
 常に私のものであるよう、使用人も毎回別の人間、もしくは機械にしたというのに。
「戻ってきてくれ、……」
 お前がいないと、私は――。



たいせつな人





! ……気を付けて」
 もうすぐで遊撃隊が出撃、というところでのもとにシャルティエが駆け寄ってきた。シャルティエは酷く心配そうな顔をしていて、の近くにいたヴァンクは失笑していた。
「んな顔するなよ、シャルティエ」
「で、でも心配なんです。遊撃隊が向かうところが、一番敵が多いようですし……」
「仕方ねえって。少人数でも個人の戦闘能力は高いからな。無駄な死人を出すより良いんだ」
 ため息を吐きながら、ヴァンクは言った。
 遊撃隊の人数は二十人程度。戦いの場では自由行動が多く、団体ではなく個人で戦って敵の数を減らすのである。時には遊撃隊だけで天上軍の一部隊を倒してしまう程、少ないながら強力な部隊なのだ。それ故に、個人の能力の高さが求められる。腕が立つ人材を見つけるとスカウトするのだが、大多数の人間が断る。少人数での行動、というのを恐れて。
 以前にシャルティエも誘った事があるのだが、彼も自信がなくて断った一人だとヴァンクが教えてくれた。
 そんな遊撃隊の人間は、やはり自分の力を過信している者が多い。その過信を潰す役目を担っているのが、隊長なのだ。腕が立つと言われる遊撃隊員の過信を潰す程の力をヴァンクは持っているのだと、は感心した。
「ってか、シャルティエ。ディムロス中将がこっち見てないうちに戻れよ? 絶対怒るから」
「うっ……。じゃ、じゃあ僕はこれで。本当に気をつけてね、
「シャルもね」
 ヴァンクの忠告にシャルティエはビビりながら、を心配した。
 は頷き、口を開いて言った。
 シャルティエはその言葉を聞いて笑顔で頷き、走って自分の隊の方へと向かっていった。
「俺たちも、そろそろ出発するか」
 まるで遠足に行くかのような顔で笑うヴァンクが、には頼もしく思えた。



「隊長ー、腹減ったっすー」
「今回は急だったもんなあ。おかげで昼飯食い損ねた」
「モンスターの肉でも食っとけアホどもー」
「……まったく、信じられんな。出撃中にこんな会話をしているのは、遊撃隊ぐらいだ」
 基地を出発して間もない頃に、一人の隊員が発言。そして愚痴をこぼす、もう一人の隊員。適当な解決策を生み出すヴァンク。
 そんな現状に、ディムロスがため息を吐きながら呟いたのだった。
「ディムロス中将ってアトワイト大佐と付き合ってんすよねー。いやー、羨ましいっす」
「……私にそんな事が聞けるのも遊撃隊ぐらいだな」
 ディムロスは再びため息を吐いた。
 ふと気付いたように、隊員がを見て目を見開き声を上げる。
「隊長ー! この子何者っすか!? 滅茶苦茶カワイイんすけど!」
 いきなりその隊員に後ろから抱きつかれ、は目を丸くして驚いた。ヴァンクはそんな様子のに噴出し、笑いながら近寄ってくる。
 そして、抱きついてくる隊員を持て余しているの頭の上に、ポンっと手を置いた。
「ほら、。自己紹介してみろ」
 ヴァンクにそう言われ、は戸惑った。
 自己紹介する必要なんてあるのか。困りながらも後ろの隊員に目をやると、彼は物凄く期待した様子でを見ている。
 はそれにさえ驚き、そして観念するようにため息を吐いた。
……、です」
 先日ハロルドにつけてもらったファミリーネームも忘れずに、名乗った。
 遊撃隊から歓声があがる。
「かっわいい~! なあなあ、どこから来たんだ!?」
「あ、お前ずるいぞ! そこどいて俺と代われ! 俺もちゃん抱き締めたい!」
「今何歳!? 俺は十歳年下までなら恋愛範囲だぜ!」
 質問やらなんやらが、そこらじゅうに飛び交う。
 は困り果て、ヴァンクを見た。ヴァンクはひとしきり笑った後、苦笑を浮かべた。
「おいおいテメーら、が怖がってんじゃねえか。……とりあえずお前、確かにずるい」
「えぇー……」
 ヴァンクは笑いながら、から隊員を引き剥がした。それと同時にに抱きついていた隊員は、不服そうな声を出し残念そうな顔をした。
「あ、そーいや隊長。ちゃんみたいなちっちゃい子が、大の男を倒したっていう噂聞いたっすか? なんでも、ミクトランの娘っていう話らしいんすけど……」
 一人の隊員がを見て、思い出したように言った。
 が思わずヴァンクを見ると、彼はを見て苦笑していた。
 ――隠しても、いずれ分かってしまう事か……。
 は心の中で、そう呟いた。ヴァンクの苦笑も、そう言っている気がした。
 既にその噂で盛り上がっている隊員たちを見て、は口を開いた。
「私が……その大の男を倒したっていう子だけど」
 そのの一言で隊員たちは静かになり、驚きの目でを見た。
 そして、次々に声が上がる。
「えぇー!? ちゃんが、その!?」
「マジかよ!? でもそれなら遊撃隊に入った理由がわかるなぁ」
「ちょっと待てよ? それじゃあ、ミクトランの娘っていう噂も?」
 隊員の質問に、は頷いた。ヴァンクが側にいる分、石を投げられたとしても平気だった。彼が、きっと守ってくれるだろうから。
 だが、石を投げられる事はなかった。
「うぉぉーッ! すっげぇ! まさかあのミクトランの娘が遊撃隊に入るなんてな!」
「じゃあ、とんでもなく強かったりする!? ちょっと俺と手合わせしてみようぜ! 今すぐ!」
 かわりに歓声があがり、「俺も俺も」とか言って抜刀する者が多数。
 ――石を投げられるより、性質が悪い……。
 は内心そんな事を思いつつ、ため息を吐いた。もともと、遊撃隊は戦いが好きなのだろう。そんな隊員をまとめるヴァンクは、やはり凄い。
「言ってもはまだ兵士見習いだぜ。今回の遊撃隊としての出撃も、仮みたいなもんだ。これから先、正式に遊撃隊に入るかどうかはが決める事。に入ってもらいたいなら、嫌がる事はすんなよー」
 ヴァンクがそう言って忠告をすると、隊員たちは慌てて剣を鞘に納めた。
 ――変なの。
 はそう思わずにはいられなかった。そんなに自分に入隊してもらいたいのだろうか。その理由がには分からなかった。
「……お前たち、足が止まっているぞ!」
 突然ディムロスの怒鳴り声が響き、その場にいた人間は飛び上がるように驚いた。誰もが中将としての罵声に驚いたのではなく、「いたのか」という驚きだった。哀れなディムロスに続くように、遊撃隊はいつの間にか止まっていた足で再び歩き出した。
「……ヴァンク」
「ん? どうした?」
 ディムロスから少し離れたところで、はヴァンクに話しかけた。ヴァンクは相変わらずの笑顔を見せてくれ、はホッとする。
「……私、あの人とは仲良くできそうもないわ」
 そう言って、は視線だけでディムロスを指した。
 上層部の中では、一番打ち解けにくそうだ。何より、向こうに打ち解けようという思いがないだけなのだが。
 ヴァンクは苦笑して、の頭を撫でた。
「そう言ってやんな。気持ちは分かるけどな。案外、あんなのが頼りになったりするんだぜ」
「……そうなの?」
 が尋ねると、ヴァンクは笑みを浮かべて頷いた。
「ああ。ただちょっとの事を警戒してるだけだろ。もともとは単純な奴だから、任務がひとつ終わった頃には警戒なんてもん消えてんじゃねーかな」
「へえ……」
 ややこしい性格、とが続けて呟くとヴァンクは笑った。そしてなだめるような声で、に言う。
「人間、とりあえず気長に付き合ってみればいいんだよ。相手の過去を見ずに、今を見てやれ。過去を見ている限り、自分自身も過去を見て今を生きれなくなっちまう。――と、お前の母さんが俺に言った事がある。当時の俺には理解するのに一晩かかったもんだが、はどうだ?」
 は自分の母親の言葉を受け止め、考えるように手を顎に添えた。そして、ヴァンクに向かって頷いた。
「つまりは、あの中将が普通に接してきたならば、前に厳しく接された事なんて忘れて気にせず今のその状況を生きろ、と」
「やっぱお前って賢いなー! さすが俺が名付けた子供!」
「ええ!? 隊長ってちゃんの名付け親だったんすか!?」
 ヴァンクが大きな声で言うものだから、隊員たちが反応して再びギャーギャーと騒ぎ出した。結局遊撃隊が沈黙を守ったのは、三分もなかった。
 先頭にいるディムロスが、大きなため息を吐いていた。
「どうりでちゃんは隊長に懐いてるわけだ……! ずるいっすよ、隊長ー!」
「アッハッハ! 羨ましいだろー」
 隊員たちのブーイングを笑い飛ばしながら、ヴァンクはを肩に担ぎ上げた。まったく慣れぬ事をされ、は身体をこわばらせて息を呑む。
は俺の娘同然! 手ぇ出したらタダじゃおかねぇからな」
「た、隊長に言われたら冗談にならないっす……」
 隊員たちを指差して宣言したヴァンクに対し、隊員は顔を青くさせて突っ込んだ。その頃にはもヴァンクの肩の上に慣れ、周りの景色を眺めていた。
 一面雪景色やら森があったりだが、ひとつ違和感を感じた。

 それは進行方向から見て真横にある。最初は黒い点だったようなそれは、次第に大きくなっていく。
 ――く、ま?
 本でしか見たことがない熊らしいそれは、大群でこちらに向かって走ってきていた。
「ヴァンク」
「ん?」
 隊員たちとじゃれあっていたヴァンクは、呼びかけに顔を上げて方に担がれているを見た。
「あれって熊だよね?」
「あー、いや、あれは熊だがモンスター……っておい! こっちに向かってきてんじゃねーか! おいお前ら、油断すんなよ!」
「了解!」
 ヴァンクは慌ててを下ろし、抜刀しながら隊員たちに声をかけた。隊員たちも続いて抜刀して構える。
「はあああッ!」
 ディムロスが先陣をきって飛び出し、モンスターを叩き斬る。隊員たちは「おぉ……!」などと感動の声を上げていた。その頃に、も鞘からレイピアを抜いた。
、隊員やディムロス中将にお前の実力を見せてやれ。……あ、無理はしなくていいからな?」
「うん」
 隊員たちがモンスターに向かって走る中、ヴァンクはに言った。は頷いて了承する。
 モンスターの数は百匹前後。遊撃隊員らやディムロスが次々に倒していくのを見ると、正直何もしなくてもいいのではと思ったが、そうもいかないだろう。
「ほら、ちょうど来たぜ。安心して戦え。危なくなったら俺が助けてやるから。
 ヴァンクの言葉に、は向かってくるモンスターに剣先を向けて構えた。
「ガアァァッ!」
 熊型のモンスターは、その巨体に合わない素早さで腕を振り上げた。
 モンスターが腕を振り下ろすと同時に、は後ろに飛んで避ける。
 攻撃後のモンスターのわずかな隙を見逃さず、は前に高く飛び、一気に間合いを詰め――迷うことなく、モンスターの開いた口へとレイピアを突き刺した。
「すっげぇ……」
 隊員たちは横目での戦いを見ていたようで、目を丸くして感嘆の声を漏らした。が突き刺したレイピアを抜くと、モンスターは声を上げる事もなく絶命した。
「……昼間より素早くなったんじゃねーか?」
「素早く動く為に必要な筋肉を、歩く時に効率よく鍛えてるから」
 の後ろで戦いを見ていたヴァンクの感想に、は淡々と言った。本当にすげーよ、とヴァンクは苦笑交じりに続けて言った。そして、笑ってに言う。
「そんだけ強けりゃ心配ないな! 好きに実戦を楽しんで来い!」
「了解」
 ヴァンクの言葉を受けて、はモンスターの群れへと駆け出した。
 自分の素早さを身軽さ。そして急所を見極める洞察力を駆使して、は次々にモンスターを討っていった。



 モンスターの攻撃は、身を翻す事によって避ける。モンスターへの攻撃は、どれも一撃で仕留めるもの。
 シンプルで無駄がない上に、殺傷力は凄まじいものだった。
 だが見ていると、やはり構えや動きがシャルティエに似ている。の母親みたいな彼は、しっかりと教えていたようだ。
 ヴァンクは自分も戦いつつ、の戦いを見てそんな事を思っていた。
「――っと、これでラストだな」
 最後のモンスターを薙ぎ払い、ヴァンクは息を吐いて剣を鞘に戻した。
「おーい、怪我人はいないだろうなあ!」
「大丈夫っすよー、隊長ー!」
 隊員の無事を確認する為にヴァンクが大声で呼びかけると、離れた場所で戦っていた隊員も手を振って無事なことを示した。
「モンスターの大群に襲われ、怪我人が居ないとは……。さすが遊撃隊といったところか」
 ヴァンクの一番近くで戦っていたディムロスが、苦笑しながらヴァンクにぽつりと言った。その言葉を聞く限り、ディムロスの部隊は怪我人が出るのだろう。腕を組んで、ヴァンクは笑顔で言った。
「仲間同士でじゃれ合って怪我人が出る時はありますけどね。野生動物がレンズによってモンスターになった程度の奴じゃ、怪我ひとつしませんよ。……も」
「…………」
 ヴァンクの言葉に、ディムロスはこちらへ小走りでやってくるを見ては訝しげな顔をした。恐らくはまだ疑う気なのだろう。
 は全く無傷。少し息を切らしている程度だった。
 ――体力をつける訓練もしないといけねーな……。
 先程の戦いで軽く息を切らす程度。それだけでもの体力は並の兵士以上のものだが、遊撃隊に入隊するならば相当な体力が必要となる。作戦によっては、敵を引き連れて全速力で逃げる時もあるのだ。現に、今の戦闘で息を切らしている隊員はいない。が遊撃隊に入隊しないのなら別に関係ないかもしれないが、無いよりあった方が良いだろう。
「お疲れさん、
「……うん」
 ヴァンクが声をかけてやると、は頷いた。きっと本当にそれなりに疲れたのだろう。
 先程まで考えていた事を、ヴァンクはに言う。
「しかしこれぐらいで疲れてたら駄目だぜ。明日には体力つける訓練もするぞ?」
「……出来るだけ体力をつけるような呼吸してたんだけど、まだ皆まではついてないみたい。でも私の計算が正しければ、明日にはもう追いついてるはずなんだけど」
「…………すげー奴だな、お前って」
 凡人の努力を一瞬にして手に入れてしまう、天才ならではの技だろう。少し妬ましくなったが、恨んでも仕方がない。
 ヴァンクが笑いながらにデコピンをすると、はわけがわからないといった表情で額を押さえながらヴァンクの顔を見た。
「な、何?」
「何でもねーよ。凡人の憂さ晴らし」
 の問いにヴァンクが答えると、は更に疑問符を浮かべていた。更に何かを言いかけただが、それは戻ってきた隊員によって止められる。
「つっえええ!!! 俺、ちゃーんと見てたんだぜ! ちゃんが戦うところ!」
「俺も俺も! やっぱ一回戦ってみてえよ! さっさと遊撃隊に入隊しようぜー?」
 隊員たちに押し寄せられ、次々に言葉を浴びせられ、は目を丸くさせた。この隊員たちの慕いようを見ていると、次期隊長はでも問題ないと思うぐらいだった。もちろんヴァンクは隊長を辞める事など考えてもいないが。
「お前たち、少しは私語を慎め! 早く出発するぞ!」
「ええー、今の戦闘でちょっと疲れたっすよ。少しは休ませて下さいよ、ディムロス中将~」
 痺れを切らして怒鳴るディムロスに、隊員たちは文句をこぼした。それに対し、「何が疲れただ……息ひとつ乱していない癖して」とディムロスがため息混じりに呟く。
 この遊撃隊をまとめるのには、一筋縄ではいかない。少し頭を使わなくてはならないのだ。
「あーあ。が将来うーんと美人で綺麗な女になったとしても、てめえらみたいな根性無ぇ奴にはやれねえなあ」
 そのヴァンクの呟きに、振り返る隊員たち。
 そして、次にを見る。の将来でも想像しているのだろう。
 最終的に隊員たちはヴァンクへと詰め寄った。
「俺、頑張ります! だから娘さんの将来をください! お義父さん!」
「お義父さん! ちゃんは俺が幸せにしますから!」
「誰がお義父さんだ!! ……とりあえず先に誠意っつーもんを見せてもらおうじゃねえか。任務を完璧にこなし、頼りがいがあって、強い男に将来はを……」
 了解! と、ヴァンクが言い終わるのを待たずに隊員たちは目的地の方向へと歩き出した。ヴァンクはその様子を見て、苦笑しながら隊員たちの後ろを歩く。
 ディムロスは「わからん……」と呟きつつも、同じように隊員の後を追うように歩き出した。
「ヴァンク」
 に呼ばれヴァンクが足を止めて振り向くと、はヴァンクに走り寄ってきた。
 今の勝手な宣言に何かツッコミが入るのかと思いつつ、ヴァンクは「どうした?」と尋ねる。
「……明日、体力つける訓練は必要ないと思うけど……。……ヴァンクとは、訓練したいな」
「……!」
 ツッコミだと思っていた言葉は、全く違うもので。先程の訓練の話についてだったらしい。
 裏をつかれたような言葉に、ヴァンクは目を見開いた。
 そして、笑いが零れた。
 ――お前にはそういう所があるから、妬みなんて吹っ飛ぶんだよな……。
 ヴァンクはの頭を掻き撫でて、言う。
「そうだな! 俺の訓練は厳しいから、覚悟しとけよ? ……それと、この任務さえ終われば俺も少しは手が空くからな。お前の母親の事だって色々話せるぜ」
「……本当?」
 聞き返してきたの顔は、無表情でも少し明るく見えた。
 よほど母親の事が気になるのだろう。ヴァンク自身、フィアルの事はに話したかったから都合が良い。フィアルの優しい言葉をに教える事で、もフィアルも救われるような気がして。
「絶対に本当だ。俺みたいな良い男に限って二言はないぜ。楽しみにしてろよ?」
「……うん」
「やっぱお前可愛いわ!」
 こくり、と頷くその様子が可愛らしくて、ヴァンクはの頭を片腕で締め付けるように抱き締めた。すると毎度ながら「痛い」と訴えてはヴァンクの腕を叩く。
 それでも笑いながら締め付けて遊んでいると、前を歩いている隊員たちが怒鳴った。
「お義父さん、早く!!」
「喧しい!! ……ったく、遊ぶにも遊べねえな。と遊ぶのが俺の夢だったーつのに」
 隊員の言葉に怒声で返し、ヴァンクはため息を吐きながらを放して歩き出した。だが、解放されたはその場に立ち止まったままで、目を瞑っている。
、どうした?」
 ヴァンクが声をかけると、はゆっくりと目を開いた。そしてヴァンクの方を向いて、口を開く。
「……ヴァンクのその夢。私……知ってる」
「ん? マリアから聞いたのか?」
 マリアなら言いかねないな、と思いつつヴァンクはに尋ねた。
 だがは首を横に振る。なら何故知っているのだろうか。ヴァンクはの次の言葉を待った。
「……「俺、フィアルの子供と遊ぶのが夢なんだ」って、言ってたよね。嬉しかった」
「――ッ!」
 の言葉に、ヴァンクは思わず息を呑む。
 言った。確かに言った。
 ――口癖のように、な。
 フィアルの妊娠が発覚してから、毎日のように言っていた。フィアルは常に子供の性別を気にしていたが、ヴァンクはどっちでもいいからとにかく遊びたかった。今思えば、口癖のように言っていたのは「男でも女でも良いじゃねえか」という思いをフィアルに伝えたかったのかもしれない。
 結局、フィアル自身には届かなかった。
 しかし――……。
「……には、届いてたんだな」
「うん」
 特に自分が何をしたわけでもないのに、救われたような気がした。
 ヴァンクは笑って、隊員の後を追う。
「明日は遊ぶぞ、!」
「訓練じゃないの?」
「バカ、訓練は遊びと一緒だ!」
 自分の後を追ってツッコミを入れてくるに答えながら、目的地を目指した。



「ち、地上軍の人かいッ……? 助けてくれッ……」
 目的地のレアルタが近くなってくるにつれ、街から逃げてきた住民と遭遇するのも多くなってきた。避難者の髪は部分的に焼け、服も所々焦げている。どれだけ街が荒れているのかを想像するのは、容易だった。
「安心しな、天上軍の好きにはさせねえよ。とりあえずどっか森の影にでも隠れとけ。明日の朝には街を取り返してやるから」
 避難者に会う度、ヴァンクは避難者の肩を叩いてそう言って安心させてやった。避難者が出る程に天上軍の攻撃は強い。だが避難者が出ている分、避難者に紛れて街へと入るのが簡単なのが救いだな、とヴァンクは思った。

 レアルタ付近で、ヴァンクは一旦部隊を止めた。
「そろそろ個人になるか。いつも通り、四方八方から攻めるぞ。怪我をひとつでもした奴は、地上軍基地の周りを十周走ってもらうからな」
「い、いつもながら手厳しいっす……隊長」
 いつもの罰ゲームを出すと、隊員たちはブーブー文句を言った。
 罰ゲームを出さないと油断する奴が多いのが遊撃隊なのだから、仕方ない事だった。ヴァンクは手で払うように言う。
「文句言ってる暇があったらさっさと行け」
「……了解したっす、お義父さん」
「俺、頑張ってきます。お義父さん!」
「お義父さん、娘さんを大切に!」
「お義父さん!」
「……お前らなァ……!」
 隊員たちの反応に青筋を立て怒りに身体を震わせると、隊員たちは慌てて逃げるようにレアルタへと走っていった。
 ヴァンクはため息を吐いて、苦笑した。
「あれ程の実力の持ち主ならばチームワークで戦ったら、とてつもない力になるだろうに。遊撃隊はあくまで個人戦なんだな」
 ディムロスが呟くように言ったのを聞いて、ヴァンクは笑った。
「そりゃあそんな事は俺も知ってますよ。ただ、あいつらはチームワーク戦より個人戦を好いてるんです。チームワーク戦となると……よほどの目標がないと無理でしょうね」
「扱いづらい事この上ないな。……とは言いつつも、私も個人戦の方が好きなんだが」
「俺もですよ」
 ディムロスはため息を吐きながらも言ったが、最後は苦笑しながら本音を零した。ヴァンクもそれに同意する。
「私も先にレアルタへ向かわせてもらう。……その少女の事は任せた」
「了解。ディムロス中将も怪我したら、基地外周十周ですからね」
「……たまらんな」
 ディムロスはヴァンクとに背を向けレアルタへと向かいだしたが、その背中にヴァンクが忠告をするとディムロスはボソリと呟いていた。
 ヴァンクはを見て口を開く。
は今回の戦闘じゃ、お姫様だからな。さらわれたらゲームオーバーだ。っていうことで、面倒かもしれないが保護者付きで戦ってもらうぜ」
「……うん」
 は頷いた。無表情から読み取れるものは、緊迫感ではなく強い意志。必ず生きてラディスロウに帰ろうと決意しているのだろう。ヴァンクはの頭を撫でて、レアルタへと向かった。

 レアルタの街は、予想通り荒れていた。
 家は潰され、あちこちから火の手が上がり。
 逃げ惑う街人に、容赦なく刃を振る天上軍。
 悲鳴や断末魔が絶える事は無かった。
「これはひでえな……。、大丈夫か?」
「何が?」
 ――大丈夫らしい。
 首が飛んでたり結構残酷なシーンが飛び交っているので、まあ普通の女の子が見たら気分を害するのだろうが、には該当しなかったようだ。
 軍人としては申し分ない、とヴァンクは割り切ることにした。
「おかあさん! おかあさあんッ!!」
 悲鳴にも聞こえる甲高い母を呼ぶ声が聞こえ、ヴァンクは思わずそちらを見た。
 見ると、絶命したと思われる母の身体を必死に揺さぶる4,5歳の女の子がいた。
 そしてその女の子に、今にも剣を振り下ろそうとしている天上兵の姿も見えた。
 ヴァンクはすぐに抜刀し、駆けつけようとした。
 ――駄目だ。俺のスピードじゃ間に合わねえ……!
 全力疾走しながらも悔しさが身に沁みた。
 だが、ヴァンクの横を追い抜いていった影があった。それは紛れもなくだった。は目にも留まらぬ速さで、いつの間にか抜刀していたレイピアで天上兵の背から心臓を突き刺して横に薙ぎ払った。
 どさりと横倒れになり絶命した天上兵を一瞥し、は泣きじゃくる子供を見ていた。
、よくやったな。……ほら、チビ。いつまでも泣くんじゃねえよ、女だろ? 母ちゃんとは一時会えなくなるだけだ。100年後には会えるぜ。取り敢えず今は逃げろ」
「うえ……ひっく……こわいよ……。捕まるよぉ……!」
「あなたは小さいから大丈夫。目立たないし。捕まった時は相当運が悪かったと諦めて」
 ヴァンクが女の子に逃げるように言うと、女の子は首を振って否定。だが、そこにがフォローの言葉を入れた。
 フォローと言っていいのかは不明だが、にそういう心遣いが出来たことに少し感動するヴァンク。
 とりあえず、ヴァンクは女の子の腕を取って立ち上がらせる。
「……だとよ。この姉ちゃんの言うとおりだ。わかったらすぐ逃げろ。今すぐ逃げろ。ほら、天上兵は今んところいないぜ。今がチャンス! レッツゴー!」
「うぅッ……うぅぅぅ……」
 口を挟む隙も与えず、ヴァンクははやし立てて女の子の背中を押してやった。
 女の子は訳も分からぬままといった様子で街の外へと逃げていった。
 ヴァンクは女の子を少しだけ見送り、の方へと振り返る。
 は跪くように、座り込んでいた。
「……? 、どうし……」
 ヴァンクは言いかけて、絶句した。
 の右足の甲には、先程天上兵が振り上げていた剣――サーベルが突き刺さっていて、貫通して地面へと縫い付けられていた。
「……ッ」
「おい、! 大丈夫か!?」
 痛みを堪えて俯くに声をかけながら、ヴァンクは大体の経緯を理解した。
 の足元には、天上軍の通信機の赤いランプが光っていた。赤いランプは、天上軍にとっての今回の作戦に重大な事が起きた、という事を他の天上兵が持っている通信機に伝える為のものだ。死んだと思っていたこの天上兵は、最期の力を振り絞って仲間に連絡をし、の足に剣を突き立てて時間を稼いだのだろう。
「ここにいちゃマズイな。一気に抜くから歯を食いしばっとけ」
 ヴァンクはの右足首を応急手当用の布できつく縛り、止血をしてからサーベルの柄を握り締めた。
 が不安な表情をヴァンクに見せる。
「……大丈夫だ。なぶり殺しにされるよりかは苦しくないと思うぜ? 覚悟はいいな」
「…………うん」
 ヴァンクが安心させるように言うと、はゆっくりと頷いた。なるべく傷口を広げないように、垂直に。
 一気にサーベルを引き抜いた。
「そんなに痛くねえだろ?」
「思ったよりかは」
「脂汗流して言うセリフじゃねえよ」
 本当は相当痛いだろうに平然な顔を装うの頭を掻き撫でて、ヴァンクはに手を差し出した。
 はその手を見て、困惑気味に口を開いた。
「……サーベルに毒が塗ってあったみたいで、麻痺して動けない」
 やっかいな事をしてくれた、とヴァンクは今はもう死んでいる天上兵に対して思った。の命だけは確保しなければいけない。
 ヴァンクはを脇に抱え、とりあえず街から出ようと走った。幸い、街の入り口まで遠くない。
 外に出れば安全だった。他の出入り口は隊員たちが押さえているだろうし、天上軍の援軍も他の部隊が撃退しているはずだ。
 ヴァンクは街の入り口から外へ一歩踏み出した。

 それと同時に、背中に鈍い衝撃が走った。
「……ヴァンク?」
 が首を傾げてヴァンクの表情をうかがってくる。
 その頃には、背中の鈍い衝撃は鋭い痛みへと変わっていた。
 その時点で、を抱えて逃げ切るのは無理だと判断した。
 ヴァンクは苦笑して、を見た。
「悪ぃな、
 そう謝罪をした後に、ヴァンクはの身体を街より少し離れた場所へ放り投げた。
 雪がクッションになって、驚きはしても大した衝撃はないだろう。
 は麻痺した身体を無理に起こし、座り込んでヴァンクの向こう側を見て目を見開いた。
 その間にもう一度、鈍い衝撃が背中に走る。
 ヴァンクは剣を鞘から抜き、身体を反転させて後ろにいた『物体』を剣で横に一閃した。
 その物体――機械系モンスターはバチバチと電気を発しながら、地面へと転がって動かなくなる。息を吐く暇もなく、次々と機械系モンスターは押し寄せてきた。それらを叩き割るように斬っていく。
「ヴァンク、背中ッ……!」
 後ろから、の震える声が聞こえた。
 ――ぱっくり割れてんだろうな……。
 ヴァンクは苦笑を浮かべつつ、そう心の中で思った。
 先程のモンスターに後ろから不意打ちを食らわされ、二回背中を斬られたのだ。結構深いかもしれない。
「大丈夫だ、こう見えてもタフだからな! 安心してお前はそこで痺れが治るのを待ってろ!」
 わざと明るい声を出して、戦いながらに言った。本当は喋るのも辛いのだが、を安心させる為、そして自分へ活を入れる為に必要だった。
 機械兵がヴァンクを避けての方へと行こうものなら、ヴァンクはすぐさま回り込んでを狙う機械兵を潰す。なんとしてでも守らなくてはいけない。今後の天地戦争の勝敗を分けるかもしれない人物なのだから。
「見つけたぞ! あそこだ!」
 機械を潰したと思ったら、今度は大量の兵士。一体今回何人の兵を地上に落としたというんだ。予測では百人だとか会議の時に言っていたが、今ここに集まってくる兵士だけで百人はいきそうだった。
様を捕えろ! 殺しても構わん! 遺体さえ持ち帰れば、蘇生装置で回復できる!」
 ――えげつねえ話だな……。
 やってきた兵士の言葉を聞いて、ヴァンクはそう思いながら笑みを深くさせた。笑みといっても、それは自嘲の笑み。
 命の大切さを知らなかったのは、昔の自分も同じだった。マリアやフィアルに会う前の自分だったら、何の疑いもなく今の兵士の言葉に従っていただろう。そう思えば、自分は愚かだと自嘲するしかない。
 だが、それは過去に縛られてるに過ぎない。
 過去に縛られては、未来には進めない。今やるべき事が、わからなくなってしまう。
 自分は、変わった。マリアやフィアルに会ってから。今の自分には、昔と違って守りたいものがある。
 ――過去に縛られてる暇なんて、ねえんだよ。
「……ざけんじゃねーよ。てめえらみたいな輩がいる天上に、を返せるか!」
 ヴァンクが大声で言うと天上兵らは少し怯んだが、すぐに威勢よく切りかかってきた。
 ほとんど力ずくで、それを薙ぎ払うヴァンク。
 機械兵の時と同じように、を先に狙う兵士は回りこんで斬った。
「もっと攻めたてろ! 後衛隊も攻撃するんだ!」
 その言葉と共に、飛んでくる弓矢。
 天上軍の後衛も必死なのか、味方に矢を放つ者もいる。
 の方へと飛ぶ矢は全て剣で払った。たとえ自分に矢が刺さろうとも、気にする余地は無い。相手の隙を見つけては、それをすぐさま叩く。それが精一杯だった。
 だがそれにも、限界がある。自分の身体に突き刺さる矢が、確実に血と共に体力を奪っていった。

「ずいぶんお疲れのようだな、ヴァンク」
 ふと、どこかで聞いた事のある声が耳に届いた。その声の持ち主は、後衛隊の後ろから登場する。それと共に、後衛も前衛もヴァンクへの攻撃の手を止めた。
「てめぇ……」
 ヴァンクは舌打ちをしながら、その人物を睨んだ。
 もう名前も忘れた、遠い昔の友人……と言うよりは、ただ単に馴れ合っていただけの同僚である。その人物は、ゆっくりとヴァンクの前に歩み寄る。前衛で戦っていた兵士は、道をあけるように横に逸れた。
 ヴァンクは息を切らしつつ、相手と対峙する。
「滑稽な姿だな、ヴァンク。全身に矢が刺さってるぞ? ハリネズミみたいだな」
「……てめぇも、いいご身分みたいだ、な。お前が出てきた瞬間、攻撃が止まったっつーの。……何か、交渉でも、あるってのか?」
 ヴァンクが尋ねると、相手は笑みを浮かべて頷いた。気色悪い笑顔だ、とヴァンクは心の中で悪態をつく。
「単刀直入に言わせて貰おう。お前の実力は、目を見張るものがある。そこで、再び天上軍へと戻って来ないか……という交渉だ。もちろん様付きで。今戻れば、お前にも身分を与えてくれるとのことだ。地上軍でこんな風に前線で死ぬ思いをしなくても、天上軍に入れば後ろで戦いを見てられるんだぞ? 悪い話じゃないだろ」
 ――成程、な。
 ヴァンクはゆっくりと息を吐いた。後ろで悠々と前線の戦いを見るなんざ、夢の夢だろう。
「……確かに、悪い話じゃねえな」
「ヴァンクならそう言ってくれると思っていた。そうと決まれば、剣を――」
「だが、俺には無理な話だな」
 迷う事なく、剣先をヴァンクは相手に向けた。相手の口元がひくつくのがわかった。ヴァンクは笑みを浮かべながら、続けた。
「俺はこうやって前線で死ぬ思いして戦うのが大好きだからな。そんな生温い条件なんて、惹かれねえよ」
 ヴァンクの言葉に、相手は嘲るように笑った。
「変わったな、ヴァンク。そんなお前に、プレゼントだ」
 その言葉と共に、何か小物を投げ渡される。
 それを剣を持っていない左手で受け取り、ヴァンクは手の中にあるものを見て絶句した。
 紛れもない、恋人であるマリアの十字架のネックレスだった。
「……マリアというのは、確かお前の女だったな? 最期までそれを大事そうに持ってたから、親切にお前に渡してやることにした」
「……最、期?」
 ネックレスを持つ手が、震えた。
 最期まで? どの『最期』だというのだろうか。
 相手は戸惑うヴァンクを見て愉快そうに笑う。
様を外へ出すように仕向けた為、今朝に処刑された。恋人と同じところに連れて行ってやろう、ヴァンク!!」
「――ッ!」
 ドス、と衝撃が腹に伝わった。
 それと同時に、呼吸さえ困難になりそうな程の痛みが広がった。
 相手が一気に間合いを詰め、剣で腹を突き刺したのだ。
 相手の剣先は、ヴァンクの背中へと貫通していた。
「――あ……」
 掠れた声が、自分の口から漏れるのがわかった。
 相手は笑顔のまま剣を引き抜き、自分に背を向ける。
 ヴァンクは左手にあるマリアの十字架のネックレスを、強く握り締めた。
 ――マリアが、死んだ。
 ――何の為に?
 そんな考えが頭をよぎる。
 ヴァンクは、口元に笑みを浮かべた。
 目からは、涙が零れて一筋の痕となった。
 右手にある剣の柄を握り締める。
 そして渾身の力で、剣を振って背中をこちらを向けている相手の首を――……。
「――なッ……!?」

 刎ねた。
 一瞬の出来事に、天上兵たちも固まった。
「……届けてくれて、感謝、するぜ……。……おかげで、目が、覚め、た……」
 何の為にマリアは死んだのか。
 それは、たったひとつしかない。
 自分の為に行動して、その行く先が死であっただけなのだ。
 彼女は自分の意思で、に外の世界の事を教えてやった。
 彼女は自分の願いの為に、行動した。
 に幸せになって欲しいという願いが、彼女の願いであり――
 ――俺の、願いでもある。
 ヴァンクは、大勢の天上兵たちを見据え、咆哮した。
「はぁぁああああ!!」
 だから、たとえこの戦いで自分が死んでも後悔はしない。マリアと同じように。
 マリアが示した幸せを掴む為の道へと進むを、振り出しに戻らせたりはしない。
 それが、願いだから。命に代えてでも、果たしたい願いだから。



「ヴァンクッ……」
 は動かない自分の身体を、これ程まで憎く思った事はなかった。せめて、せめて。ヴァンクの傷を癒すことが出来たなら……。晶術というものを、ハロルドから教わっていれば。

 ヴァンクはこの寒空全域に響き渡るような咆哮を上げ、再び天上軍と戦い始めた。それも、腹部に穴が開いた状態で。背中に大きな傷を負った状態で。矢が身体のあちこちに刺さった状態で。
 ――どうして、動けるの……?
 死んでもおかしくない。いや、普通はもう倒れて瀕死状態に陥る程の負傷だ。
 怖くて、堪らない。ヴァンクがもう二度と、自分のもとへと帰って来ない気がして。
「やだ……! 誰か、助けて……!」
 かろうじて動くのは、指先と首から上だけ。
 麻痺さえしてなければ、先程の男がヴァンクに致命傷を負わせる前にどうとでも出来たのに。
 ――さっきの男、ヴァンクに何を言ったのだろう。
 ここからでは、話の内容は全く聞こえなかった。ただ、何かを投げ渡していたのは分かった。そして、ヴァンクがそれを見て呆然としていたのも。

 そんな事を考えていると、天上軍の後衛部隊の方の陣形が変わり始めた。変わる、というより崩れていっている。考えられる事は、遊撃隊員らが後ろから奇襲をかけてる事ぐらいだった。
 その後衛部隊を避けるように前衛に出てきて、ヴァンクと戦っている天上兵を斬るのは……ディムロスだった。
!」
 そんな状況の中、後ろから女性の声が聞こえた。記憶が正しければ、アトワイトの声。は思わず、走ってくるアトワイトの方へと目を向けた。
「援軍に来たわ。……大変、麻痺してるのね? これを飲んで」
 アトワイトはの隣で膝をつき、的確に症状を判断して小さなボトルの栓を抜いての口に入れた。
 は素直にそのボトルから出てきた液体を飲んだ。三秒も経たない内に、身体の痺れが急激に薄れていくのがわかる。
「足も酷い怪我ね。すぐに応急手当を……」
 アトワイトが横で何やら言っているが、気にせずには再びヴァンクの方へと目を向けた。
 前衛の天上兵は全滅し、後衛は遊撃隊員らに手こずっていた。

 そんな中、ヴァンクは血溜まりの中で倒れていた。傍に居るディムロスに何かを言いながら、何かを渡すのがわかった。
 居ても立っても居られなくなり、は痛む足やアトワイトの制止の声も気にせずヴァンクの方へと走った。
「ヴァンク……!」
「……? 来たのか?」
 ヴァンクのもとへと走り寄り、がヴァンクの名を呼ぶと彼は焦点の定まらない目を泳がした。
 は、ヴァンクを挟んでディムロスと対面する位置に座り込んだ。
「……目が見えないらしい」
 ディムロスのその言葉に、はヴァンクの目を見た。
 ――瞳孔が、ほとんど開いてる……。
 それは、死を間近にしている証拠。
 ヴァンクはそれでも、の気配を読み取って弱々しく笑いかけた。
「わりーな、……。明日、一緒に、遊べそうも……ねえな……。かっこわりー男、だな……約束、守れねえなんて……」
「ヴァンク……死んじゃうの?」
 尋ねると、ヴァンクは苦笑を浮かべた。
「……そう……みたい、だな……」
「約束は? お母さんの事、話してくれるんじゃなかったの?」
 そう言うと、ヴァンクは困ったような顔をした。
「……は、血は、大丈夫……だったな……」
「え……? うん……」
 突然の言葉に、は戸惑いつつ肯定した。
 ヴァンクは右手で身体に刺さっている矢を、握り締めた。
 一体何をする気なのかと見ていると、ヴァンクはその矢を抜き出した。
「おい、何をする気だ!?」
「ヴァンク!? そんな事をしたら血が……!」
 ディムロスの言葉に引き続き、いつの間にか来ていたアトワイトが戸惑いながら言った。二人が慌ててる間も、ヴァンクは次々に矢を抜いていく。矢を抜いたところからは、そんなには血は出なかった。
 は、ただ見る事しか出来なかった。
「…………」
 一通り矢を抜いたヴァンクは、に向かって微笑んだ。
 更にヴァンクは上半身を起こしだすので、ディムロスが慌てて肩を両手で支えてやる。
 ディムロスに支えられながら、ヴァンクはを抱き寄せた。
 ヴァンクの胸は、血のにおいがした。
「俺の死で、学べ。……理屈じゃなく、心で……感じろ……。素直に……感情を、受け入れろ……」
「ヴァンク……?」
 今、自分がヴァンクに抱き締められているのはわかる。
 だけど、いつものような締め付けるような力強さは、なかった。
 今にもほどけてしまいそうなぐらい、弱々しいものだった。
 少し顔を上げてヴァンクの顔を見ると、ヴァンクはしっかりとを見て笑顔で言った。
「……フィアルはな、きっとお前に……そっくりだ……。だけどな……フィアル以上に、幸せになるのが……、だ……」
 最後の最後に、ヴァンクは力強く抱き締めてくれた。
 それは、一瞬だけだった。
 ヴァンクの腕はだらりと力が抜け、起こしていた上半身も倒れかける。ディムロスはしっかりとヴァンクの肩を支えた。
 は、ゆっくりと、ヴァンクから離れた。
 そのの一連の動作と同じペースで、ディムロスはヴァンクの上半身を雪の上にゆっくりと乗せた。
「え……ヴァンク……?」
 はヴァンクを見て目を瞬かせた。
 気の抜けた顔で、眠っているように見えた。
「隊長ー! 見てくださいよ、天上軍の後衛部隊、綺麗に全滅っすよー!!」
「ちょっと隊長、聞いて下さいよ! 天上軍の攻撃では無傷なのに、こいつら馬鹿が間違って俺を攻撃してきて!」
「隊長、腹減ったっすー!」
 天上軍の後衛部隊を倒した遊撃隊員らが、ヴァンクの周りへと集まってきた。
 だが、隊員の騒がしくて大きい声も、遠くに聞こえた。
「ヴァンク……?」
 震える声で、震える手で、は手を伸ばしてヴァンクの身体に触れる。
 雪に冷やされたヴァンクの身体は、とても冷たかった。
「隊長! 何寝てるんっすか!?」
「おお! 隊長、珍しく凄い大怪我っすね! 基地の周り、何周走るんですか!?」
 隊員たちは、笑いながらヴァンクの傍へと寄ってきた。
「ヴァンク……!」
 震える声で、は強くヴァンクを呼ぶ。
 だが、目を開ける事も、身体が温かくなる事も無かった。

って名前、俺がつけたんだぜ?」

 もう笑う事も。

「俺は、の全てを受け止めてやるから。俺の前では我慢すんじゃねーよ」
「地上軍の奴らがの事を何て言おうが、俺はお前の味方だ」


 もう抱き締められる事も。

「何でもねーよ。凡人の憂さ晴らし」
は俺の娘同然! 手ぇ出したらタダじゃおかねぇからな」
と遊ぶのが俺の夢だったーつのに」


 やたらと構ってくれる事も。
 ――ない、の……?
「起きて……ヴァンク、起きて……。冗談じゃないわよ……名付け親なのに、ほんのちょっとしか一緒にいてないじゃない……。ヴァンク……ねえ、起きてよ! ヴァンク!」
「隊長?」
「ちょっ……シャレにならねーっすよ、隊長」
 心が動かされるままにが怒鳴ると、隊員たちも戸惑いの声を出し始めた。
 ディムロスは空を仰ぎ見て、アトワイトは俯いて涙を流していた。
「隊長……! 何、死んでるんすかぁ!!」
 その隊員の悲痛な叫びが、酷く頭の中で響いた。
 頭が痛くなり、目が痛くなり、目頭が熱くなった。
 ぽたり、と涙が目から溢れて零れた。
 ――こういう時、なんて言えばいいの……? もうそれすらもヴァンクは教えてくれないの……?

「自分が悪い事をしたと思ったら、間違った事をしたら」
「相手とまた話がしたい時に素直に謝って仲直りしたり、な」


「ごめんなさいッ……!」
 それだけしか、浮かばなかった。
「ごめんなさい、ヴァンク……!」
 涙が、どんどん溢れてきた。
「私、謝るから……! また、話してよ……! ねえ、ヴァンク……!」
 胸が張り裂けそうになるぐらい、痛かった。
 
「返して……返してよ、あの人を!」
「お姉ちゃんが……あたしのお父さん、取ったんだあ……!」


 天上の技術で蘇生? 天上なんて、届くはずがない。
 届いたとしても、その技術はあってはならないものだ。
 今、やっと気付いた。
 でも、遅すぎる。
 後に待ってるのは、深い後悔だけ。
「隊長ぉ―――ッ!!」

 ――ごめんなさい……。

あとがき
妄想時間も入れたら合計、2ヶ月ぐらい製作時間を費やした5話目です。そんな訳で恐ろしく長いお話。
ですが、個人的には満足できた作品になったんじゃないかなあと。
ヴァンクを書いてて思ったんですが、結局ヴァンクはミクトランより夢主の「父親らしい」んですよね。
しかしまあ、大切な人を失った「喪失感」というものを、冒頭では陛下が。末では夢主が感じてるわけですが。
陛下は周りに親しい人間もいないので、その喪失感を抱いたまま後悔し続け。けれども、夢主はソーディアンチームによって喪失感を埋め、後悔から抜け出すわけです。その話は次回以降引き続く予定です。
それでは、ここまで読んで下さった方、本当に有難う御座いました…!
2007/3/19
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