「あれ……」
 を迎えに訓練所に戻ると、そこにの姿は無かった。
 訓練所を見回すと、ディムロス中将が部下を鍛えている真っ最中で。
 熱いなあとか思いつつ、邪魔をするのを承知で尋ねることにした。
「ディムロス中将」
「ああ、シャルティエか。どうした?」
「……を見ませんでしたか?」
「よし、今日はここまでだ」
 ディムロス中将はという名前を出すなり、訓練を終了させた。なんて行動力だろう。
 とりあえず先程までの経緯を話すと、ディムロス中将はこう言った。
「私も今ここに来たところだからな。見なかったが」
 ――今来たばかりなのに、訓練やめちゃっていいんですか。



温かい優しさ





 シャルティエの思いが顔に出たのか、ディムロスは慌てて咳払いをした。
「勘違いをするな。私はカーレルと違って、あの少女をまだ信用したわけではない。投降兵と似たようなものだろう。陰で何か根回しをされていたら困るから、探すんだ」
 やはり実力で中将の位置まで上り詰めた人物は違うな、とシャルティエは思った。
 ――僕なんて、もう丸っきり信用しちゃってるのになあ。
 シャルティエは内心、ため息を吐く。
 中将と少佐。この階級の差には色々な要素が詰まっていそうで。
「ところで、の腕前はどうだったんだ?……あんな子供が武器を扱えるとは思えんが」
 ディムロスの言葉に、シャルティエは首を横に振った。
「それが、十分間ここの訓練所を見学しただけで下手な兵士より強くなったんです。隙を見つけては、そこを的確に狙ってきましたし……。でも自分の非力さを自覚してなかったらしくて、そこを中心に指導したんですけど。なかなか見込みはあると思います」
 シャルティエの説明に、ディムロスは眉を顰めた。
 そして訓練所を見渡して、口を開く。
「……ミクトランの娘、か」
 突然そんな事を言い出したディムロスに、シャルティエは疑問符を浮かべた。
 ディムロスは「いや」と、言葉を続ける。
「ミクトランの娘が地上軍に入ったという噂は、思いの外広まっている。
今のシャルティエの話が真実ならば、あの少女は強くなる。そして興味や関心を集め、やがてミクトランの娘だとバレてしまう」
「……つまりは、『ミクトランの娘』としか見られない、っていうことですか?」
 シャルティエの問いに、ディムロスは頷いた。
「そんな現状に気付いた時、あの少女が真っ直ぐに育つだろうかと思ってな。……バルバトスのようにならなければ良いが」
「……大丈夫だと思います」
 ディムロスは、シャルティエに視線を移した。
 シャルティエはディムロスをしっかりと見て、断言する。
「僕が、いますから」
 きっぱりと言い放ったシャルティエに、ディムロスの厳しい顔つきが柔かいものに変わった。
 そしてディムロスは、シャルティエの頭をポンッと叩いた。
「そうだな。その為にお前という面倒見がいる。しっかり世話をするんだぞ」
「ど、動物じゃないんですから」
 シャルティエは俯いて叩かれた頭を触りながら、少し顔を赤くさせた。
 とりあえずを探そうと、シャルティエは辺りを見渡した。
「それにしても、どこに行ったんだろう……。集中力を切らして、どこかに行っちゃうような感じじゃなかったのに」
「……誘拐された、とか考えられるな」
 その言葉に、シャルティエはバッとディムロスを振り返った。
 そして心底泣きそうな顔をして、ディムロスの胸へと飛び込んだ。
「ちゅ、中将! なんて物騒な事を言うんですか! 人身売買だなんて、そんな、酷い! 非道もいいところですよぉ!!」
「待て、シャルティエ! 人身売買だなんて誰も言っていない! というか私に泣きつきながらそんな言い方をするんじゃない! 誤解される!! とりあえず此処を出るぞ!」
 第三者から見れば、ディムロスがシャルティエを売り飛ばすかのような発言にディムロスは焦ってシャルティエを連れて訓練所を離れた。
 ディムロスはため息を吐き、半べそをかいているシャルティエを見て言う。
「あくまで仮定の話だ。そんなに焦ることはないだろう」
「焦ることないって……普通に焦りますよッ! だって、はすっごく可愛いし。人形みたいじゃないですか」
「だからと言って、人身売買をするような奴が……幼女趣味がこの軍にいないことを私は願う」
「カーレル中将あたりが危なそうですけど」
 シャルティエの言葉に、ディムロスは頭が痛くなる。確かに奴は危ない。
 そんな事を思いつつ、二人は適当に歩いてを探した。
 そこら辺りをうろついている兵士を捕まえ尋ねるが、いい答えは得られなかった。
「ディムロス中将。もしかして質問の内容が良くないのかもしれませんね」
 シャルティエから言われ、ディムロスは悩んだ。
 ――「十歳ぐらいの武器を持った少女を見なかったか」。
 これ以上の質問が、どこにあるというのだろうか。
 また一人、兵士が歩いていたのでディムロスは尋ねようと近づいた。
「……! でぃ、ディムロス中将にシャルティエ少佐! 何か御用でしょうか!」
 兵士は慌てて姿勢を正し、敬礼をした。
 ディムロスは先程と同じ質問をする。
「十歳ぐらいの武器を持った少女を見なかったか?」
 その質問に兵士は首を傾げ、呻った。
「……いえ、特にそのような少女は見ていないと思いますが……」
「それじゃあさ、金髪美少女は見なかった?」
「見ました」
 シャルティエの質問に即答する兵士。
 ――抽象的な方が伝わる時もあるんだな……。
 ディムロスはそんな事を思いつつも、『金髪美少女』で通ってしまう地上軍の行く末を案じた。
 兵士は興奮した様子で、ディムロスとシャルティエに語り始める。
「あの美しい金色の髪! そして今にも折れてしまいそうなか弱い身体! この地に降る雪を連想させるような白い肌……! 忘れようと思っても忘れることはできません!」
 ――強くならなくても、十分興味や関心を集めているな。
 そんなことを思いつつも、ディムロスは何処に行ったのかを尋ねる。
「それで、その少女はどこに行った?」
「あ、はい。あっちの丘の方へ行きましたが……」
 兵士はその方向を指差した。
 それを視線で追い、ディムロスとシャルティエは沈黙した。
 そこは、少女の母親がとても気に入っていた丘。
 ただ寒いだけの丘なのに、フィアルは温もりを感じるのだと言った。
 その丘にが向かった。
 それは偶然か。それとも必然か。
「……ディムロス中将」
「行くぞ、シャルティエ」
 何とも言えない表情を見せながらシャルティエがディムロスを見ると、ディムロスは特に慌てた様子を見せることもなく歩みを進めた。
 だが、足取りはとても早かった。慌ててシャルティエは追いかけた。



 海が見えるその丘は、人があまり近寄りたがらない程冷えていて。
 真っ白に染まった地面に、うっすらと小さい足跡が伸びていた。
 自然と、視線だけが先に丘の先の方へと移っていく。
 そこには、探していた人物がいた。
 ――……倒れて半分雪に埋まっているが。
!?」
 シャルティエは慌てて駆け出して、それに数歩遅れてディムロスも同じようにのもとへと駆け出した。
 屈んでの体に積もった雪を払ってやり、シャルティエはを抱き起こす。
「一体何してたわけ!? うわあ! 何、そのおでこの傷!! こんな所で寝てたら凍死しちゃうよ!?」
「お前は母親か」
 呆然とするに質問を浴びせかけるシャルティエに、ディムロスは思わず突っ込んでしまった。
 自分の焦りように気付き、シャルティエは顔を少し赤くして咳払いをした。
 がゆっくりと、口を動かす。
「……ここは、暖かいから……。眠くなって」
 シャルティエはのその言葉を聞き、の体が温かいことに初めて気付いた。熱でもあるのかと思ったが、顔色は至って普通なので心配はないようだ。
「それはどうしたんだ?」
 ディムロスがの額を示し、尋ねた。
 は自分の手で傷を撫でる。傷口は多少固まっていて、薄く血がつくぐらいだった。
「石……」
 そこまで言って、は言葉を止めた。
 ディムロスとシャルティエは「石?」と言って、疑問符を浮かべている。
「……こけて、石が当たって」
 は俯いた。
 石を投げられた事は、言いたくなかった。それよりか、はあの一連の出来事さえあまり思い出したくもなかった。
 思い出すと胸が締め付けられるような感覚に陥り、あまり良い気分ではなくなるから。
 シャルティエは苦笑しながら、の頭を撫でる。
「ラディスロウに戻ったら、消毒しなくちゃいけないね。女の子の大切な顔に傷でも残ったら大変だよ」
 ――やはり、母親だ。それもかなり過保護な。
 ディムロスは内心そう呟いた。あまり手をかけすぎて逆に捻くれなければ良いが。
 でシャルティエの発言には対して反応を示さなかった。
 シャルティエはの手を引っ張りながら立ち上がり、が立ち上がるのも助けてやる。
 その様子を見て、ディムロスはため息を吐きながら二人に背を向けた。
「ともかく、無事で良かった。お前のような地上軍に来たばかりの奴が一人で勝手に行動すると、こちらが心配する。あまり勝手な行動は取らないようにしてくれ」
「……はい」
 少し俯いて、はディムロスの言葉に返事をした。
 ディムロスがに警戒心を抱いている限り、もディムロスに警戒心を抱くのであろう。自分に対しての雰囲気と、ディムロスに対しての雰囲気がちょっと違うな、とシャルティエは思った。
「僕も今日はもうフリーだし、部屋に戻ろうか。のスペースも作らないといけないしね」
 シャルティエがそう言うと、は頷いた。やはり雰囲気はディムロスに対した時と比べ、どこか柔かかった。
 ディムロスは再び訓練所に向かい、シャルティエとは自室へと戻った。



「あ、イクティノス少将。って、のスペース作ってくれたんですか!?」
 自室に入ると、イクティノスが既に戻ってきていて書類の整理をしているところだった。
 部屋を見渡すとしっかり一人分のスペースが出来上がっていて、シャルティエはイクティノスに焦った様子で尋ねた。
「ええ、時間を持て余していたんで。のベッドは後で兵士が運んでくるようです。部屋の机は二人用から三人用に入れ替えたんで、シャルティエの荷物は勝手にベッドの上に置かせてもらいましたよ」
「す、すいません……。僕がやるべき事だったのに……」
 一人で何もかもやってしまったイクティノスに、シャルティエは頭を下げて謝罪した。
 イクティノスは「いいんですよ」と、特に怒った様子もなく言った。
 そして彼は、何かを思い出したように一枚の用紙を机の上に置く。
、こっちへ来てもらえますか?」
 イクティノスの言葉に、シャルティエの後ろにいたは軽い足取りでイクティノスの傍へと立った。
「この書類の各項目を埋めて下さい。地上軍に入ったからには、個人情報と共に誓約書も必要となりますから」
 ペンをに手渡しながら、イクティノスは言った。
 は椅子に座って、早速その項目を埋めていこうとペンを走らせようとして――ある事に気付く。
「……私、何かを書くのって初めて」
「「は!?」」
 突然で衝撃的なの発言に、イクティノスとシャルティエは目を見開いて驚いた。
「文字も書いた事、無かったんですか?」
 イクティノスに問われ、は頷いた。
「書ける?」
 シャルティエからも問われ、はそれにも頷く。
「本は読んでたから」
 そう言いながら、はペンを走らせた。
 イクティノスはそれを後ろから覗き、唖然とした。
 ――まるで、機械で打ったような字体だな。
 の字体はまったく砕けておらず、イクティノスは思わずそう感じた。
 イクティノスは再び書類の整理を始め、シャルティエもベッドの上に移動している本や書類を新しい机に並べ始める。
 氏名、性別、年齢、身長、体重。
 一通り書き終わり、はまだ埋めていない欄を見つめた。
「シャル、私の階級と所属部隊って?」
「え」
 に問われ、シャルティエは目を丸くさせた。
 シャルティエは呻りながら視線を上へと移し、考えるように首を捻った。
「イクティノス少将。の場合ってどう書けばいいんですかね?」
「正式にはまだ決まってなかったですよね。適当に『兵士見習』とでも書いておいたら良いんじゃないでしょうか? どうせ年に一回更新しますしね」
 結局シャルティエはイクティノスに問うことになった。
 イクティノスの答えを聞いて、は素直に「兵士見習」と適当に書く。
 そして、最後の空欄にペンの先を置いた。
「家族構成……名前と居場所の欄があるんだけど」
「えー……っと、どうしますか? 少将」
「あー……。本来その欄は書いた人物にもしもの事があった時、家族に連絡する為のものですから。書いても書かなくてもどちらでも良いと思います。そこに書かれた情報は公開しませんし、あくまで個人情報として貴重に扱いますから」
 再びはシャルティエに尋ね、シャルティエは再びイクティノスに尋ねた。
 イクティノスは書類の整理は終わったらしく、次は手元で何かをしながらそう答えた。
 はペンの先をずっと紙の上に置いたまま、少し考えているようだった。
 やがて、ペンを走らせる。
「父、ミクトラン。居場所、ダイクロフト」
に何かがあっても連絡は出来ないね」
 の直球な書き方に、シャルティエは突っ込んだ。
 イクティノスは苦笑しながら、が書き終えた書類を手にとってクリアファイルに入れる。
「それでは、これは後で上に提出しておきます。――あと、これを」
 ぺたり、との額にガーゼを貼り付けたイクティノス。
 ガーゼに染み込んだ消毒液が傷口に刺激を与え、は思わず目をつむって息を呑んだ。
「あ、すいません少将。後でやろうと思ってたんですけど」
「いいんですよ。この傷、どうしたんですか?」
「こけて石に当たったみたいなんです」
 先程イクティノスが手元で何かをやっていたのは、ガーゼに消毒液をつける作業だったのだろう。イクティノスの行動に気付いたシャルティエは、いち早く礼を言った。
 イクティノスの問いにシャルティエが答えたところで、がやっと目を開けて息を吐いていた。
「……そうですか」
 の額の傷口を見ながら、イクティノスは言った。
 今の間は何だったんだろう。シャルティエはそんなことを思いつつも、身の回りの整頓を続けた。



 後に兵士がベッドを運んできて、これでも部屋の住人となった。
 夜が深まり、いつ寝てもおかしくない時間帯に、その部屋の住人の男共は悩んでいた。
 その悩みの種は、新しくこの部屋に入ってきたベッドの上で膝を抱えて座っている。
「――眠らないんですか、
 イクティノスが問うと、は黙って頷いた。
 シャルティエは困った様子を見せながらも、に話しかける。
「まだ眠くないとか?」
「…………」
 その問いには、は微動だにしなかった。
 目を瞑って少しすると、眠れる状態だった。だが、目を瞑ると昼間のあの光景が思い浮かぶ。その度に、胸が潰れそうになるほど苦しくなる。
 シャルティエとイクティノスは、の様子を見て頭を抱えた。
 不安がっているようにも見える。下手に電気を消したら、もっと不安が大きくなるかもしれない。
 そんな時、遠慮がちなノックの音が部屋に響いた。
 シャルティエとイクティノスは顔を見合わせ、首を傾げた。
「こんな時間に、誰でしょうね?」
 シャルティエはそう言いながら立ち上がって、扉の横のボタンを押した。
 軽い音を立て、扉は横にスライドして開いた。
「――あ。ヴァンク大佐……」
 扉の向こう側にいたのは、ヴァンクだった。
「こんな遅くにどうしたんですか?」
 イクティノスが部屋の中から問うと、ヴァンクは苦笑しながら答える。
に会いたかったんです。ついさっき、任務から帰ってきたところでして。もう寝たかと思ったんですが、部屋の明かりがついていたので……は起きてますか?」
 シャルティエが陰になっていて、ヴァンクの位置からは見えなかったらしい。
 を振り返り、シャルティエは言う。
、お客さんだよ。眠れなかったから、ちょうど良かったんじゃない?」
 は頷いてベッドを降り、ヴァンクの元へと走り寄った。
「それじゃあ、少しを借ります」
「よろしくお願いします」
 ヴァンクがを引き連れて行くのを見て、シャルティエはお辞儀をした。
 そして扉を閉めたところで、イクティノスが堪えきれないといった様子で噴出する。
「まるで母親ですね、の」
「ぼ、僕がですか?」
 シャルティエの問いに、イクティノスは苦笑しながら頷いた。
「子供の面倒を見るなんて滅多に無いですから、持て余すかと思ってたんですが」
 そのイクティノスの言葉に、シャルティエは少し笑った。
 微笑を浮かべながら、言う。
「妹が出来たみたいで……結構、嬉しいんです。最初は正直ちょっと怖かったんですけどね。本当に人形みたいだったから。でも、剣の稽古とかしてると、時々ってば大ボケかましたりして。そういうのを見てたら……やっぱり、人間なんだなって。かわいいです」
「そのシャルティエの成果もあってか、最初見たとはちょっと変化がありましたね」
 シャルティエの言葉を聞き、イクティノスは言った。
 「そうなんですか?」と疑問符を浮かべ、シャルティエはイクティノスに問う。
「……僅か、ですけど。少し、人間に近づいたというか。半日で変化が私の目に見えるようであれば、の吸収率は凄いですね。――笑顔が見れる日も、そう遠くはないでしょう」
の笑顔……ああっ、どんな風に笑うんでしょうね、少将! きっとすっごく可愛いですよ! 早く見たいなあ……!」
 興奮気味に話すシャルティエを見て、イクティノスは更に噴出してしまった。
 兄というには歳が少し離れているからだろうか。赤ん坊を産みたての母親のように見えて。
「そういえば、イクティノス少将も意外と面倒見がいいんですね。の傷にも気付いていましたし。更にそれを消毒したりして」
「ああ、これでも子供の面倒見るのは好きですから。……シャルティエ、ちょっといいですか?」
 シャルティエの言葉に、微笑を浮かべながらイクティノスは答えた。
 だが、いきなり真剣な表情に変わり、椅子に座った。
 その変わりように、シャルティエはどきりとする。
「な、何ですか? 体とか求めないで下さいよ?」
「しませんよ、そんな事。の事で、ちょっと……。あの傷、こけて石に当たったと言っていましたよね」
 自分の体を抱きしめるシャルティエに、イクティノスはため息を吐きながら冷静に突っ込んだ。
 シャルティエは不思議に思いつつも「はい」と返事をしながら、椅子へと座った。
「……本当に、そうなのでしょうか」
「へ?」
 難しい顔をして言い出したイクティノスに、シャルティエは疑問符を浮かべた。
 「いえ」、とイクティノスは続ける。
「あの傷、こけて出来るものではありませんよ。一般人にはわからないでしょうけど。こけて石に当たったとすれば、もっとえぐれたような感じになって……のあの傷は、どちらかと言うと……飛んできた石に当たったような」
「飛んできた石? 誰かが投げて遊んでたんでしょうかね?」
 シャルティエの言葉に、イクティノスは首を横に振る。
「そんな単純なものだったら、は素直にそう言ってると思いますが」
 その言葉に、シャルティエは息を呑む。
「それは……あの傷は、誰かから石を投げられた……っていう事ですか?」
 イクティノスは頷いた。
 信じられない、とシャルティエは首を横に振った。
 どうしてが石を投げられるはめになったのかが分からない。
「ミクトランの娘が地上軍に入ったということ、意外にも広まってるものですよ。
情報誌作成チームでの部下が、ネタを仕入れたとか言ってその話題を持ってきましたから。事実かどうかわからない。プライバシーに関わる。……そう言って、却下させましたが」
 そう言えば、ディムロスがそんな事を言っていたな、とシャルティエは思い返す。
 どんな情報でも、いずれは流れてしまう。軍の機密情報ならまだしも、今回のような簡潔で衝撃の大きい情報は広まりやすい。
 シャルティエは肩を落としながら、ため息を吐く。
「……ミクトランの娘、という事で石を投げられたんでしょうかね……」
「詳しくは分かりませんが、大体そんなところでしょう。しかし、先ほども言ったようには少し人間に近づいたように見えます。石の一件で、の心に何か新しい感情が生まれたんじゃないでしょうか。……それが、嫌な感情であっても」
「少将……」
 同じく肩を落としながら話すイクティノスがシャルティエは珍しく思え、シャルティエは思わず目を丸くさせた。
 この先、はどう変わっていくのだろうか。笑顔が見れたら良いが、こんな調子だとディムロスが言っていたようにバルバトスみたいになるかもしれない。
 そんな事を思っていたシャルティエは、突然閃いたように手を叩いた。
「少将、なに暗い顔してるんですか!」
「え?」
「嫌な感情を知ったなら、今度は僕らが良い感情を教えればいいんですよ! 例えば僕らが気遣って優しくしたり……は吸収率が高いから、その優しさを受け取るんじゃないでしょうか?」
 シャルティエの説明に、イクティノスは一時呆然とした。
 そして、フッと顔を緩ませる。
「なるほど……そうですね、ただそれだけの話でした。年を取ると、どうも難しく考えてしまいますね」
「我ながら良い案だと思ってますから」
 イクティノスの言葉に、シャルティエは笑って答えた。
 シャルティエは次に、が帰ってきた時にどう向かえてやるかを考え出す。
 そんなシャルティエの様子に、またイクティノスは笑って言った。
も半日で少し変わりましたが……シャルティエも、半日で物凄く変わりましたね」



 ラディスロウを出たとヴァンクは、ちらちらと降る大人しい雪を見て、空を見上げた。
「……父さん、どうしてるかな」
「心配か?」
 の言葉にヴァンクが問いを投げかけ、その問いには俯いた。
 すると、その途端は何かをヴァンクから被せられる。慌てて確認すると、それは今までヴァンクが着ていた上着だという事が分かった。
「まだ寒さには慣れてないだろ?」
 そのヴァンクの言葉に、は頷いた。
「……で、「ありがとう」は?」
「えッ……? あ……あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 ヴァンクに問われて、は戸惑いながらも答えた。
 その答えにヴァンクは満足したように笑顔で言葉を返す。
 これが普通のやり取りなんだな、とは理解する。気持ちの良いやり取りだな、となんとなく感じた。
「そう言えば、噂ぐらいしか聞いてなかったんだけどさ。天上王は娘を溺愛してるって……本当か?」
「…………」
 は困って、口を閉ざした。ヴァンクと合わせていた視線も、思わず逸らす。言っていいものか、言ってまた石を投げられないだろうか。
 そんな思いが心を駆け巡り、は口を開けぬままだった。
 ヴァンクがため息を吐いて、先に口を開いた。
「質問変更ー。ミクトラン『様』は、を溺愛してたって本当か?」
「う、うん。……本当……って、あれ?」
 今度の問いはにとって、とても答えやすい質問で。その質問に答えたは、質問の内容は全く同じだということに気付いて思わず声に出した。
 ヴァンクは「そうか」と笑みを湛えたまま、の頭をポンッと柔らかく叩いた。
「やっぱりそうか。驚いただろ、地上軍に入って。今まで絶対的存在だと思っていた陛下が、ここでは打倒だの殺すだの言われてんだからな。俺は別に陛下が憎くて地上軍に投降したわけじゃ無かったから、余計に驚いた」
「――え? 憎くて、地上軍に入ったわけじゃないの?」
 が思わず聞くと、ヴァンクは優しい笑顔で頷いた。
 やっと息が出来るような安心感に見舞われ、は息を吐いた。
「……そりゃ、ここにいる連中にこんな事言ったら、殴られそうだけどな」
「石、投げられるわよ」
 苦笑しながら言ったヴァンクに対し、はため息を吐きながら答えた。
 ヴァンクはその言葉を聞いて、「まさか」と言っての額を見た。
「本当に投げられたのか?」
「……父さんの事は嫌いって言ったんだけど。私、地上に降りて来てここの兵士、何人か殺しちゃって。その殺した兵士の娘が、投げてきたの。……その娘の母親にも「あの人を返して」って言われたから、「天上の技術だったら返せるけど」って答えたら殴られたけど」
「うっわー……」
 皮肉にしか聞こえねえよ、それ。と、ヴァンクは続けて言った。
 は首を傾げて、ヴァンクを見る。
「だって、本当じゃない」
「確かに本当だけどな。まあ、なんだ。うん……ま、いいや。これから分かっていくと思うけど」
「意味がわかんない」
 困った表情を見せながら話を完結させたヴァンクに、が無表情で冷たく突っ込んだ。
 ヴァンクはため息を吐き――の頭を片腕で抱え込んで締め付ける。
「俺に難しい事を説明させようとすんな! どこぞの天才とは違って説明は下手なんだ! こういうモンはな、心で感じるものなんだぜ。わかったかー?」
「い、痛い……」
 はもがきながら、締め付ける腕を叩いた。
 ヴァンクは笑いながら、太くはないが鍛えあげられた腕を緩めてやり、の頭を優しく抱いた。
「俺は、の全てを受け止めてやるから。俺の前では我慢すんじゃねーよ。父親が好きなら、好きって言えばいい。地上軍にいるのが辛いって思うなら、辛いって言えばいい」
「…………」
「地上軍の奴らがの事を何て言おうが、俺はお前の味方だ。世界を平和にしようと降りてきた、お前の味方だから……」
 他人から慣れぬ事をされ身を硬直させていただったが、ヴァンクの穏やかな言葉を聞いて体の力を抜いた。マリアといい、ヴァンクといい。とてもあたたかな愛をくれる。そして色々な思いを教えてくれる。
 はフゥ、と息を吐く。
「……ヴァンク」
「ん?」
「……ありがとう」
「……っくぁー!! 本当に可愛い奴だなぁ! っていうかお前って完璧陛下似だよな! 陛下の遺伝子怖ぇー」
 再び頭を締め付けるヴァンクには「痛いから」と言って、また腕を叩いた。ヴァンクは今度こそ、の頭を解放してくれた。
 自由になったはヴァンクを見上げ、問う。
「ヴァンクは、どうして地上軍に投降したの?」
「え、俺? あー……俺って本当は、正直世界の事なんてどうでも良かったんだけどな。兵士だったけど、天上は裕福で困ることなかったし。だけど、フィアル……の母親の影響で、色々と俺も変わって。あ、俺っての母親の世話役やってたんだぜ。知ってた?」
「うん、マリアから聞いた」
 語りだしたヴァンクは、の質問を投げかけた。は頷いて、その質問に答えた。
 すると、ヴァンクは再び口を開いて続ける。
「世界が平和になることを、フィアルは望んでいたんだ。大地の上を歩いて、青い空を見上げて。兵器の無い世界を安心して旅したい、なんて言ってたっけな。……フィアルのそん時の境遇も境遇だったから、同情しちまってな」
「どんな境遇だったの?」
 の質問に、ヴァンクは一瞬「う」と言葉を詰まらせた。
 そして苦笑しながら「お子様にはまだ教えられねーよ」と言って、の額にデコピンを喰らわせた。
がもっと強くなって大きくなったら、全部教えてやるよ。……にしても、、ねえ……」
「?」
 自分の名前を出して意味深に笑うヴァンクに、は首を傾げて疑問符を浮かべた。
 ヴァンクは、笑みを湛えながら続ける。
って名前、俺がつけたんだぜ?」
「は?」
 突拍子も無く出てきた事実に、は思わず声を上げた。そのの反応に、ヴァンクはハハッと笑い声を出した。
「だってさ、フィアルはを産むなり……死んだし。陛下に言っても子供だとか、奴だとか、そんな言い方するばっかりだったから俺が勝手に名前付けて広めてやったわけ。俺、名付け親」
 笑いながら言っていたヴァンクだったが、フィアルが死んだという説明の所では眉根を寄せていた。それが少し気になっただったが、それより「名付け親」という言葉に反応した。
「ヴァンクが、私の名付け親なんだ……」
「そういうわけ。それもあって、俺は地上軍に降りてきた。もしに会った時、胸張って会えるように。……まあ実際、会えるとは思わなかったけどな。でも賭けてたんだぜ? いつかマリアがに会って、の考えを変えてくれるって。そしては世界を平和にしようと行動するってな」
「……マリアは」
 ヴァンクの説明を聞き終わり、は空を見上げた。
 そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「部屋の外に、私にとっての幸せがあるかもしれないって……言ってた」
「そりゃー、あるだろうな。あの部屋で生きてるより、ずっと……まあ、幸せってもんは自分で感じるもんだから、一概には言えねえけど。んじゃ、例えば……石を投げられたりしたら、幸せだったか?」
 ヴァンクに問われ、は首を横に振った。
 思い出すだけで、辛い。
「だろ? でも、さっき俺に抱きしめられた時、幸せだったか?」
「あ、うん……多分」
 今度の問いには、は頷いた。最後に言葉を濁したが。ヴァンクは笑いながらも、次の質問をする。
「石を投げられる事が無くて、俺に抱きしめられたらどうだった?」
 その質問には、は首を捻らせた。
 視線を一度下にして、再び上にして、ヴァンクに戻した。
「嬉しいかもしれないけど……幸せは半減してるかも」
「よーしよし、優秀! あのな、辛い事があるからこそ、幸せを強く感じる事が出来るもんさ。……これも、フィアルの受け売りだけど」
 の頭を撫でながら、ヴァンクは笑った。そして言葉の最後に、苦笑して付け足していた。
「ねえ、お母さんってどんな人だった?」
 頭を撫でられながらも、はヴァンクに質問した。
 ヴァンクは「うーん」と言いながら考え、フゥと息を吐く。
「話すと長くなるから、その話はまた今度! 今日はもう寝ようぜ。も明日訓練するんだろ? っていうかあんまり遅くまでしてると、の保護者に怒られちまう」
 保護者、というのはシャルティエの事だろうか。
 はそんな事を思いつつも、母親の事はまた今度聞かせて貰おうと決めた。
 ヴァンクは撫でていた手でに貸していた上着を剥ぎ取って背中を叩き、「寝よう寝よう」と言ってラディスロウの手前まで促した。
「……一人で部屋まで戻れるか?」
「うん」
 ヴァンクの問いに、は頷いた。
 彼は笑顔を見せながら「よっしゃ」と気合を込めるように言う。
「小言を言われたくないからな。悪いが一人で戻ってくれ」
「……? いいけど」
 ヴァンクの様子が少しおかしくて、は首を捻りながらも了承した。
 何と言うか、少しヴァンクの顔に影が差してるように見えた。
 そんな事をに悟られていることに気付いていないのか、ヴァンクは笑顔で言う。
「おやすみな、!」
「……おやすみ」
 挨拶されたら、返す。そうマリアから教えられたのを思い出しながら、はラディスロウに入って幾分か軽くなった心を感じながら部屋へと戻って行った。



 ラディスロウに入っていくの小さな背中を見送り、ヴァンクはため息を吐いた。
 そして、空を見上げ――を産んだ時のフィアルを思い出す。
「女の子よ、フィアル、ヴァンク!」
「あー、ハラハラしたぜ。無事に産まれて良かったな、フィアル」
「…………」
「フィアル? どうした?」
「……どうして、どうして……女の子が産まれたの……?」
「フィアル?」
「あいつは! あいつは男を望んでいたのに! ……また、私はあの悪夢を見なくちゃいけないの? もう、たくさんだわ……」
「落ち着け、フィアル。お前らしくない」
「もう、疲れたわ。私、道具じゃないのよ……? さらわれたと思ったら、ここに監禁されて、男が生まれるまで、また……。……なんであいつの駒になる幸せになれない子供を産まなきゃいけないわけ? わっかんないわよ……」
「フィアル……」
「……これ以上、不幸な子を産むわけにはいかないわよね。それに、あいつの血が流れた子供なんて、愛せるわけないわよ……」
「……! ヴァンク、フィアルが貴方の短剣を……!」
「待てよ、フィアル! 何する気だ!?」
「……言ったでしょ。これ以上、不幸な子を産むわけにはいかないって。
……今まで、ありがとう。最期のお願いよ、ヴァンク。私の死体は、私の大好きな地上に落として。……私の帰るべき場所は、地上だから」
「フィアル! やめろッ! ―――!」


 ――涙など見せなかったフィアル。見せたのは、最期だったな。
 あの時、喉を掻っ切って自害したフィアルの姿は、未だに忘れられない。
 自分も、赤ん坊だったも……赤く染まって。
 普段から気丈に振舞っていたから、女の子が産まれて自害するなど思ってもいなかった。溜め込んでいた物を、全て吐き出すかのように死んでいった彼女。自分が産んだ子を愛せないと言って、死んでいった彼女。
 愛せないと言われて、母親に死なれた
「……言えねーだろ、普通に考えて。少なくとも、今のには」
 返答もないのに、独り言始めだすヴァンク。
 地上軍の上層部には、この事は言ったが。元々地上軍にいた彼女の事を酷く心配していたから。
「……言って、また死なれたら堪らないからな……」
 ヴァンクはフゥ、と息を吐いて呟いた。
 フィアルの子供だから。彼女の血を引いてるから。苦しみを吐き出さずに溜め込んで、耐え切れずに死なれるのが怖い。だからこそ、あの時抱きしめてやった。じゃないとは、心を開かなかっただろうから。
「フィアル……」
 彼女の遺体は、彼女の願い通りにイグナシーより海へと投げた。
 下手に遺体が発見されて、天上の技術で生き返されたりしたら彼女はもっと悲しむだろうから。
「フィアルの分まで、を愛すからな……。絶対に、不幸なんかにしない。……絶対に、幸せにしてやる」
 ヴァンクは、拳を握って誓うように空に向かって呟いた。



、おかえり!」
「た……ただいま?」
 挨拶されたら、返す。と思っていただったが、シャルティエの元気さに思わず疑問系になってしまった。
 部屋に入ってきたのもとへ、一目散に駆け寄ってきたのはシャルティエだった。
「よし、。一緒に寝ようか!」
「え?」
 いきなりそんな事を言ってきたシャルティエに、今度は本気で疑問符を浮かべる。そんなに気付く事なく、手を引っ張ってシャルティエはのベッドまで連れて行く。
「……はたから見ると、変質者が幼女をさらったみたいですね」
 イクティノスから鋭い突っ込みが入り、シャルティエは苦笑した。そして、言い返す。
「それじゃ、少将にも変質者になってもらいましょうかね」
「……は?」
 今度はイクティノスが疑問符を浮かべた。シャルティエは問答無用、といった感じでイクティノスの方までズカズカと歩いていく。
「少将、そっち持って下さい。さすがにシングルベッドに僕ら三人が寝るのはキツすぎますから、くっつけちゃいましょう」
「……本気で私を巻き込む気ですか」
 イクティノスはため息を吐きながらも、珍しく押しの強いシャルティエの反抗する事が出来ずに言われた通りにベッドの片端を掴んだ。二人でベッドを持ち上げて、のベッドに横付けする。
「寝れないなら、とりあえず一緒に寝てみようよ。ね、
「……うん」
 シャルティエの言葉に、はゆっくりと頷いた。
 壁際である一番奥にシャルティエが入り、その次に。そして最後にイクティノスという順だった。
「また明日は訓練するつもりだから、なんとかして寝ないと」
「うん……」
 シャルティエに返事をしつつも、は既に瞼が重たくなってきていた。
 この二人に挟まれていると、昼間の嫌な記憶がどうでもよく思えてきて。
 目を瞑っても、嫌な記憶は浮かばなかった。
 は目を瞑りながら、言葉を紡いだ。
「……シャル、イクティ」
 イクティって言うのは私ですか、とイクティノスが苦笑じみた声で言った。シャルティエはの次の言葉を待っているようだった。
「……ありがとう」
 本当に、心が軽くなった。
 本当に、胸が温かくなった。
 本当に、「ありがとう」って言いたくなった。
「……おやすみ、
 シャルティエが、そう言いながら頭を撫でてくれたのが分かった。
 それを最後に、は眠りにつく。
 ひとつの想いを抱えながら。

 ――これは、紛れも無い『私にとっての幸せ』なんだ……。

あとがき
今回はちょろちょろっとギャグをつっこんでみました。血が…私の血が暴れだして…ッ!
前回の話では「悲しい」だとか「辛い」だとかのマイナスな感情を知った夢主でしたが、それがあったからこそ「嬉しい」だとか「幸せ」だとか「優しさ」っていうプラスの感情を感じることが出来ました。
あと、ヴァンクの容姿は、あえて書いておりません。『頼れるお兄さん』的な、夢主が唯一心を開ける人物なので、「こんなんだろーなー」とか勝手に妄想……じゃなくて、想像しておいてください。
っていうか本当に面倒見がいいな、シャルとイクティ。
それでは、ここまで読んで下さった方有難う御座いました!
2006/12/30
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