物心がついた時、私は一人だった。

 父親はいたけれど、いつも冷たかった。

 私は一人に耐えられず、ある日父さんに言った。


『私も父さんを愛すから、父さんも私を愛してよ』


 ――私は、父さんが好きだった。



夢への第一歩





「失礼します」
 シャッと自動ドアが開き、入ってきたのは一人の女性。
 部屋のベッドの隅に座っていた少女は、ちらりと女性に目を向けた。
「おはようございます、様」
「…………」
 女性の手にはトレイが乗っていて、その上には軽食が乗っていた。朝食を持ってきたということがわかった。
 、と呼ばれたその少女は、気にも留めないように再び視線をそらして何も無い場所を見つめる。

 朝食――……食事を持ってくる人物は、いつも違う。は十年間ダイクロフトにいるが、同じ顔など見たことがない。時には人間じゃない物体が来る時だってある。唯一、同じ顔を見せるのは――……父親のミクトランだけだった。
「お暇ではないんですか?」
「別に」
 気を利かせて女性が声をかけたが、はそれを一言で切り捨てた。
 ――どうせ二度と会うこともないんだから、深入りすることないし。

 女性は口を閉ざし、無言のままの傍にある机にトレイを置いて「失礼しました」と呟き部屋を出て行った。
 女性が出て行った後の、扉を見る。

 部屋の外には一歩も出たことがない。父親から、外に出ることは厳しく禁止されていた。行動範囲といえば、この部屋から直接繋がっているトイレと風呂場ぐらいで。
 外に出てみたいという思いが無いと言えば嘘となる。だけど出たところを父親に見つかり、父親が自分に愛想尽きてまた自分が独りになるのは嫌だった。




 もうすぐ昼、という時に部屋へ入ってきたのはミクトランだった。
「父さん、久しぶり」
「すまなかったな、しばらく会えなくて」
 そう言いながらの隣に座り、頭を撫でた。
「仕事が忙しくてな。ロクに寝てもいない。書類を眺めながら思うことはただ一つ! ……お前のことだけなのに、時の神は私たちの仲を裂こうと」
「父さん」
 ミクトランのいつもながらの変態じみた言葉に、いつものだったらスルーするが、今回は違った。
 真剣な顔で、ミクトランを見つめる。
 娘のその様子に、鼻血を垂れ流していたミクトランも真剣な顔になって疑問符を浮かべた。
「……父さんは、何をしてるの?」
 その突然の質問に、ミクトランは薄く笑った。
「珍しいな。お前が私に質問など……母親のことだけだったというのに」
「この部屋の外ってどうなってるの?」
 間髪入れずに問われ、ミクトランの顔から笑みが消える。
「何故知りたい」
「知っちゃダメなの?」
 真っ直ぐにお互い見つめ合う。重い沈黙が流れた。
 それを先に壊したのはミクトランの方だった。ミクトランはを抱き寄せ、囁くように言う。
「……今はまだ、教えられないな。この部屋の外は、お前が幸せでいられない所だ。お前が幸せでいられるように世界を変えようとしているのが、私だ。それぐらいしか言えない」
 抽象的過ぎ、とは呟いた。
『ミクトラン陛下、ご報告があります』
 部屋の外から機械的な声が聞こえ、ミクトランは舌打ちをして立ち上がった。
 その様子を見て、は苦笑する。
「父さんが凄く忙しい人だってのは知ってる」
「抽象的だな」
 ミクトランはそう言い笑って部屋を後にし、はそれを見送った。

 そして、再び一人になり眉根を寄せる。
 忙しい人、と同時に偉い人だというのも知っている。そしてその娘である自分も同様、権力のある人間なのだと。食事を持ってくる人の対応を見れば、大体わかるが。
 ――父さんは、一体何をしているのか。
 それを想像するのは、今の自分では無理な話で。今の自分の頭の中身は、部屋の片隅にある本棚の中身と父親との会話。色の名前は知っていても、その色自体がわからないという。……そんな頭で考えるには、知らない事が多すぎた。

「失礼します」
 考え事をしていると、昼食を持ってきた女性が入ってきた。
 その女性を見て、はドキリとする。
「こんにちは、様」
「…………」
 三十代半ばぐらいの女性は、笑顔でに挨拶した。
 は、その女性を知っていた。
 いつ会ったか、そんなことがわからない程、遠い昔に。だけど確実に。
 ――私は、この人と会ったことがある。
 女性はトレイを机に置く。
 が声をかけようか迷っていると――
「こら」
 ――という言葉と同時に、女性はの頭に拳骨を喰らわせた。
「!?」
 突然の攻撃。というか味わったことのない衝撃に、は目を白黒させた。
 わけがわからないまま、殴られたところを手で押さえて見上げると、女性は微笑んでいた。
「挨拶されたら、返す。常識よ」
「えッ……あ、こ、こんにちは」
 の返事に満足したのか、女性は笑みを深くさせた。
「ミクトラン様としか関わりがないっていうから、どんな生意気な子かと思ったけど……。やっぱり、『彼女』の子ね。素直でいい子だわ」
 意味深な言葉に、は首を傾げた。
 そして、ずっと思っていたことを口に出す。
「あの……私、貴女に会ったことがある。憶えてないぐらいの時に」
 そのの言葉に、女性は目を見開いた。
 そして、ゆっくりと息を吐く。
「やっぱりミクトラン様の子。凄い記憶力ね。……そう、私も様に会ったことがある。あなたのお母さんの出産の時、様を取り上げたのは私だもの」
「お母さんのこと、知ってるの?」
 が尋ねると、女性は困ったように首を捻り呻った。
「そうねー、私は出産の時に立ち会っただけ。だけど、私の恋人があなたのお母さんのお世話をしていたの。私は、その恋人を通じて知っているだけ。……お母さんのこと、誰かから聞いてる?」
「父さんから……お母さんは、私を産んだと同時に死んだって聞いてる。そして、父さんはお母さんのこと、愛してなかったって」
 女性は、の答えに眉根を寄せて悲しそうな顔をした。
 そして、の頭の上に手を置き、呟くように言った。
「……そっか」
 その声色は、すごく重くて。は不思議に思った。
 女性は気分を入れかえるように大きく息を吸い、再び笑顔になって言う。
「私、ずっと様に会いたかった。様に食事を運ぶ人って、いつも違う人なのよね。これはミクトラン様の命令らしいんだけど。十年間、待ち続けたわ。私はここで。恋人は地上で」
 ここ? 地上?
 突然出てきた二つの言葉に、は思わず首を傾げた。
 女性はそのの様子に「まさか」と声を上げた。
「何も知らないの? 天地戦争のことも」
「父さんは、何も教えてくれない。ただ、この部屋の外は私にとって幸せじゃなくて。私が幸せでいられるように世界を変えるのが父さんだって。それだけしか聞いてない」
 の説明を聞き、女性は傍らに座っての両手を握り締めた。
「……確かにこの部屋の外は、幸せじゃないかもしれない。でも、『様にとっての幸せ』はあるかもしれない。今のこの世界の話をしたら、様が今置かれている現状が崩れるかもしれない。でも、私は是非知って欲しい。……これを全て踏まえた上で、聞きたい?」
 は少し躊躇った後、頷いた。
 ――私は、真実が知りたい。
 女性も心得た、と言わんばかりに頷き、口々に話し出した。

 その話の内容は、にとってとても新鮮で。そして衝撃的だった。
 かつてこの星に彗星が落ち、それにより舞い上がった粉塵で太陽の光が届かなくなり。
 極寒の中、科学者たちは粉塵より更に上空への浮遊都市郡建設を考案した。
 その考案は、彗星衝突により生まれたエネルギー源「レンズ」、そして巨大レンズ「神の眼」により完成となった。
 が、実際に空中都市へと移れたのは特権階級のものたちだけ。
 その特権階級の頂点に存在し地上を支配し続けているのが、自分の父親「ミクトラン」。
 空中都市に住む者たちは自らを「天上人」と自称し、それに反抗し戦うのが地上にいる「地上軍」だという。
 今も尚、ベルクラントという兵器で地上への無差別攻撃を行っているのだと。
「…………」
 女性の説明を聞き終わったは、複雑な気持ちでいっぱいだった。
 ――あれは嘘だったの? 私が幸せでいられる世界に変えるんじゃなかったの? 今、父さんがやってることは自らの欲望の為の戦争じゃない……。
 握られた自分の拳を、はグッと握った。
「……あの」
「私の名前はマリアよ」
「マリア……。私の……父さんがやってることって、悪いこと……だよね」
 の問いに、マリアは瞳を閉じてを抱き寄せた。
「……世界にとって良いことではないわね。ベルクラントの攻撃によって、大勢の人が死んでいってる。だけど……ミクトラン様も、引き返す事が出来ないって思っているのかもしれない」
 引き返すことが出来ない。
 は心の中でそう呟いた。
 そう思っているなら、どうやって止めればいいのか。直談判したところで、聞いてくれるだろうか。
様」
 俯いて考えていたは、マリアに呼ばれて顔を上げた。
 マリアは胸ポケットから十字架のネックレスを取り出し、の手に握らせた。
「今度会うことがあっても、それはずいぶん先のことだろうから。今、頼みたいことがあるの。私はこの天上から離れることができない。地上に投降した恋人も、地上から離れることはできない。もし、この先……私の恋人と会うことがあれば、これを渡してほしいの。彼、バカなのよ。私とお揃いのネックレス、忘れていっちゃうんだから。彼の名前はヴァンク。生きてるかどうか、わからないけど……。私が持ってるよりか、様に渡した方がいいかなって」
 そう言って笑うマリアの顔は、とても悲しそうだった。
 ――笑っているのに、どうしてこんなにも悲しそうなんだろう。
 は不思議な感覚、胸を締め付けられるような思いを初めて感じた。
「そろそろ行かなくちゃ。あんまり長居すると怪しまれるしね」
 マリアは立ち上がり、扉の前まで歩き、止まった。
 そして振り返った。
「どうか、お元気で。……ずっと愛しているわ、様」
 そう言い残し、部屋を出て行った。
 一人に慣れているはずなのに、マリアが出て行った後の部屋はいつもより寂しく感じられた。
 父親以外の名前を初めて知ったかもしれない。
 そして、父親以外に愛をくれた人。
「……ヴァンク」
 ネックレスを眺めながら、は呟いた。
 自分の母親の世話をしていたというヴァンクという人は、どうなのだろうか。自分を愛してくれるだろうか。マリアのように、色々なことを教えてくれるだろうか。
 ――父さんを止める術を、教えてくれるかな……。
 は立ち上がり、ゆっくりと扉の前へと立った。
 ミクトランがベルクラントで地上への無差別攻撃を止めないのならば、自分が地上に降りればいい。それでもベルクラントを停止させなければ、バッドエンドだが。

 だけど、自分が動かなければ事態は動かない。
 一歩踏み出すと、自動ドアが開いた。

 まさに、夢の世界へと踏み出すような感じで。
 飛び込んできたのは、今までに見たことのない色や物。
 しばらく静止し麻痺していただったが、ハッと我に返り急ぎ足で歩いた。
 部屋の外も部屋になっていて、大きな机の上に書類や物が大量にまとまりなく置かれていた。は机に置かれていたレイピア型の武器を咄嗟に手に取り、それを胸に抱いたまま走った。

 無我夢中で。途中で誰にも会わないこと。それをただ祈りながら。

 適当に走っていると、見えたのは扉。横にはボタンがついているようで、本の知識からこれはエレベーターだということが分かった。
 下のボタンを押し、扉が開くのを待つ。

 扉が開き、飛び乗って最下層を選択する。
 運良く、途中で相乗りする人物は誰もいなかった。
 スムーズにこのまま最下層に。そしてそこからどうにかして地上に。
 そう思っていた。だが……。

「あ」
 その目的の最下層で、兵士と遭遇してしまった。
 兵士の顔は見たことがあった。確か六歳ぐらいの時に一回見た顔だろう。
 相手もすぐに気づき、だが「一体何故」という考えの方が大きかったのか間が生まれた。
 は慌てて、その兵士の横を走り抜けた。
様!? どちらへ!?」
 兵士の言葉を無視し、は逃げるように走った。
 最下層は色々な機械があって、歯車などが動いていて煙たかった。
 そして、突き当たりの扉までたどり着き、隣の赤いボタンを押す。
 ゆっくりと、扉が開く。
「お待ちください! そちらは――!」
 扉が開き、は目を見開いた。
 まさに、空と雲の境目で。上を見上げれば青空。下を見れば、ただ白かった。
 ――下に降りるための機械はない。飛び降りるくらいしかできない。
 は心でそう呟き、二つの選択肢を天秤にかける。

 このまま兵士に捕まり、またあの部屋に戻るか。
 死んでもいいから、ここから飛び降りて地上へ行くか。

 答えを頭で出すより先に、足が出ていた。身を投げだすと同時に、頭で答えが出た。

 ――私は、地上へ行く。



 肌を突き刺すような寒さの中、は落ちて行った。
 本当にこんな寒い中、人間は生きていけるのかと不思議に思う程の寒さではあったが、それも全て新鮮だった。
 白い地表が見えたところで、はやっと「どうしようかな」と考えだす。勢いで飛び降りたのはいいものの、死ぬ気で来たから着地方法なんて考えていない。
 風が自分を包み込み――……そして抱き上げてくれる。
 何故か突拍子もなく、そんな思いに駆られた。
 それは現実となり、の体は地表に叩きつけられる直前に浮き、ゆっくりと足元から地面へと着地した。
 なんとかなった。
 は安堵の息を吐き、周りを見回した。
 周りに、人は見当たらない。仕方なく、は慣れない雪道を歩き出す。

 五分ほど歩いて、息が切れ始めた時。
「な、何者だ!」
 地上軍と思われる兵士に囲まれた。
 突然囲まれ、の背中に冷たい汗が流れる。
「見ていたぞ! ダイクロフトから落ちてくるところを! モンスターか!?」
 何と答えればいいのかわからず戸惑っていると、階級の高そうな赤毛の青年が、優しい笑みを向けて尋ねてきた。
「君は……人間かい? 天上人かな」
 穏やかに尋ねられ、はホッとしながら質問に答えようとした。
 だが、声を出そうにも出ない。今まで常温で育ってきた体を雪にさらして、あちこち不調がでているようだった。
 一人の兵士が叫ぶ。
「答えられないとは……モンスターだな!!」
「殺せ!」
「おい、待て! 早まるな!」
 赤毛の青年の制止を聞かず、兵士たちはそれぞれの武器を持ってへと襲い掛かる。
 ――殺される。
 咄嗟にそう思ったは、死を目の前にした恐怖に耐え切れなかった。
 何かが弾けたように、叫んだ。
「ッいやあああああああああ!」



 嫌な予感がして、赤毛の青年――カーレル・ベルセリオスは、咄嗟に岩場の影へと隠れた。それと同時に、自分のすぐ横を熱波が通り過ぎていく。コートの端が焦げたのがわかった。周囲の雪が熱波によって溶けていった。

 カーレルはしばらくその状態で静止し、そして様子を伺った。
 そして我が目を疑う。
 先程まで兵士だった『人』が、真っ黒の『物体』になったのだから。
 異臭に、カーレルは眉を顰めた。
 兵士の中にも自分と同じように隠れた人間が数人いたようで、その兵士たちも呆然とソレを眺めていた。
 そして、隠れるのが遅れたと思われる兵士が、片足を焼かれて悶えている。
 一人の兵士が武器を取り出し、黒焦げとなった人の中心に立っている少女を狙うのを見て、カーレルは慌てて制止させた。
「よすんだ。……二の舞にはなりたくないだろう。無闇に刺激するようなことは止めた方が良い」
「しかしッ……!」
 カーレルはゆっくりと、少女のもとへと歩み寄る。
 少女の視線が、ゆっくりとカーレルを捉える。
 出来るだけ落ち着かせるように、カーレルは少女に笑みを見せた。
「大丈夫だよ」
 少女は何が起こったかわからない、といった様子で小さく震えていた。
 カーレルは両手を差し出し、武器は何も持ってないことを示しつつ、尚もゆっくりと少女に近づいた。
「大丈夫だから」
 二度目の言葉に、少女はゆっくりと息を吐き――……その身体から、力を抜いた。
 カーレルは慌てて少女を支える。少女の身体は異常なまでに軽く、熱かった。
「凄い熱だな」
 つい最近結成されたソーディアンチームの中に衛生兵長――アトワイト・エックスがいたのを思い出し、連れ帰ってアトワイトに看てもらおうとカーレルは少女を抱き上げる。
 兵士が不満の声を漏らした。
「……カーレル中将。もしかして『それ』を持ち帰る気ですか?」
「そのつもりだが」
「これだけの人数を一瞬で殺したモンスターをですか!?」
 声を荒げ、他の兵士が反抗した。
「モンスターだとはまだ決まっていない。それを先に決め付けて、攻撃してしまったこちらの分が悪かった」
「しかしっ……!」
「天上兵だとすると、こんな強力な力を持った子は手放したくないはず。その時は人質として使えるだろう? 怒りに身を任せて殺してしまうのは、得策とはいえないな」
 そのカーレルの言い分に、兵士たちは押し黙る。一人の兵士が重い口を開いた。
「どうなっても知りませんよ」
「大丈夫じゃないかな。可愛いし」
 そういう問題じゃない。
 兵士たちは、この軍師に心の中で盛大につっこんだ。
 そんな事も知らず、カーレルは辺りを見回した。
 ――三十人中、生き残ったのは自分を含めて五人か……。
 モンスター討伐の任務中に二人が死亡し、そしてこの少女によって二十三人が死んだ。
 ――予想もしてなかったな。
 不敗の軍師と呼ばれている自分が率いる軍が、ここまでボロボロになるとは。
 多くの犠牲を出したこの少女の治療を、許可してくれるだろうか。

 ――なんとかなるだろう。可愛いし。

あとがき
ついに書いちゃいました、夢主がダイクロフトから落ちた時のお話…!
前々から書きたいなーとか思ってて、リクエストの方でありましたので……背中を押されたような感じで思わず!
リオンと初めて会った時の夢主とはまるで別人ですが、これも人との関わりが全く無かったからのこと。
陛下は相変わらず変態ですが、夢主の方は笑わないし泣かないし人形みたいな子です。
こんな夢主が地上軍でどう変わっていくのか…、皆様、温かい目で見守ってやって下さい。
それでは、ここまで読んで下さった方有難う御座いました!
2006/12/13
戻る  02→